稗田阿禮

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【 解説・18 】
《後段・二》(1~6/6)

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○ここに居ります舎人、稗田の姓〔カバネ〕の名(を負う)の者。年は二八、優秀な人である。一度見ればソラで唱〔トナ〕え、一度聞けば忘れることはない。
そして勅〔ミコトノリ〕があり、語ノ臣〔カタリ・オミ〕の阿禮(者)に伝承話を誦〔の〕り繰〔く〕らせた。

王家の系図や王位の継承図、また先代〔サキツヨ〕旧辞、これらを作り整えようとした。然れど、徒〔イタヅラ〕に月日が過ぎ時代が替わっても、未だその仕事を成し得ずにいる。


時有]トキに~アリ。◯時/トキに。ところで。そのころ。◯有/アリ。居る。(棚字)

◇「ところで、(ここに稗田の姓の名を負う舎人が)居ります」とも読めます。
舍人]トネリ。下級の役人。◇舎人の中にも階級があり、掃除や荷物持ちなど単なる雑用係から、乗り物係、伝令係、王族の世話係まで、その役割及び上下は広かったようです。しかし、下働きの男を指す呼称であることに違いは有りません。

姓・名]カバネのナ。◯姓/カバネ。一つの集団を表わす。◇ここでの姓の字をどう読むかについては議論があります。ウヂと読む、という説が多くの支持を得ていますが、カバネのままとします。◯名/呼称。姓に係るのであり、阿禮を指すものではない。

稗田]ヒエダ。◯稗の字義/⑴ 穀物の一種。実は細かい。⑵ 小さなもの。⑶ 雑俗。稗史〔ハイシ〕は、巷に残る細々とした事柄を書いた文。稗官〔ハイカン〕は、民間の細かい事を集めた官(官書)と呼ばれるもの。街談巷語、また小説。稗記〔ハイキ〕は筆記。稗説〔ハイセツ〕は説話の意味をもつ。稗士〔ヒシ〕という語には愚か者の意があり、自己の謙称としても使う事がある。

 

◇七世紀か六世紀か、あるいは更に前か、とにかく古事記成立のずっと以前、稗の字に伝承話、また其れに関わる者、の意がある事を知った人がいた。そこで語ノ臣の別称として稗の字が使われ始め、これが長らく続いた。

だが、よく見ると稗には “卑しい” の文字が入っており、あまり良い字とはいえません。折しも「土地の名は吉字二字を以って付けるように」という御触れが出されたばかり。記が献上された翌年、和銅六年の事です。

ここでの稗田は地名では無いですが、この期に稗の表字も廃止されたのかも知れません。それは同時に稗田の姓〔カバネ〕の廃号をも意味します。ただ、長年使ってきたヒエという音はそのまま残して文字のみを改めて、日吉、日枝、比吉、などの表記に変えた。

或いは全く逆で、通常は例えば「比枝ツ阿禮」なのですが、一時的に(この時だけ)謙称として稗田の文字を使った、という事も有り得ます。

何れにしろ稗田阿禮なる人物は、伝承話を家職とするこの辺りの下級神官に属する舎人の一人、と思われます。

阿禮]アレ。者。人。固有の人名ではない。稗田阿禮は「稗田の者」の意。
「姓稗田名阿禮」を日本語としてそのまま書けば「稗田ノ、姓ノ名ニ、(負ヘル)阿禮」となるでしょう。字列の関係上「負」の字は省きます。

さらに「稗田、姓名、阿禮」を、そのまま書いたのでは面白くない、ということで姓名の二字で稗田を挟む形にして「姓・稗田・名、阿禮」の書き様にしたと思われます。

当時の人たちは日本語を語順通りに書くよりも“漢文風和文” にするというのが常であり、戯れに文字を入れ替えて文章を作っていたフシが見て取れます。

そもそも、姓名や氏名は「姓の名」「氏の名」であって、現代のような「姓と名」「氏と名」ではありません。近世以降に商人や役者が用いた屋号もまた「屋の号」であって「屋と号」ではないですよね。

古代に於いて「姓は稗田、名は阿禮」というような「姓と名」の形の読み下しは成り立たないでしょう。

出雲風土記》に語臣猪麻呂という人が出できます。ほらここに「姓と名」の形が有るではないか、と受け取るのは早合点というものです。語臣は「姓〔カバネ〕の名」、猪麻呂は「身〔ミ〕の名」であって、「姓の名」と「身の名」の形であり、「姓と名」ではありません。

年是廿八]◯年/トシ。年齢。◯是/コレ。◯廿八/フタ・マリ・ヤツ。またハタチ・アマリ・ヤツ。

◇書写本の中には「二十八」と書くのもありますが、ここは二字表記が必要であり三字は許されません。よって「廿八」です。

爲人聰明]◯爲人/ナス、ヒト。~な人。◯聰明/聰=聡。カシコ。頭脳が優れている。賢い人。

◇問題を解決する能力や優れた発想力といった知性には、トキやサトキ、またサトシという表現が適しています。しかし、阿禮の知性はその記憶力が対象であり、厩戸豊聰耳の聰などと同様には扱えません。聰明の文字はサトキ・アケキと読めはしますが、ここでは広義に知性を指す語のカシコを充てるのが適当です。
※カシコとは、優越を表わすカツキから転じた音。

度目誦口]◯度目/目にワタリ。とどく。(文章などを)見ただけで。◯誦口/(文言を)声に出していう。[拂耳勒心]◯拂耳/拂=仏。触れる。耳にする。聞く。◯勒心/記憶する。心(脳)に印す。刻み込む。覚える。勒には「石にキザム」の意がある。

◇超人的記憶力の持ち主、というのでは有りません。ただ、長い話を数多く覚えていて、何度語っても一言一句違〔タガ〕うことがない、という技芸の者なのです。

現代人にとって、長台詞を喋る役者や、沢山のネタを持っている噺家を見たところで、別段驚くことはないでしょう。しかし、そんな職業に馴染みの無い人たちにすれば、話の面白さとは別に、彼の記憶力の凄さに対して、まず感嘆したのかも知れません。それを「度目誦口・拂耳勒心」という言葉で表現している、というだけの事です。

《記》には、頭が八つもある巨大な怪獣が出てきたり、鰐(鮫)と兎が会話をしたりと、荒唐無稽な物語を載せています。しかし、これらの話に対する認識の仕方は八世紀初頭の人にとっても、もはや神話なのであって、それは現代に生きる我々と大きな違いは無い感覚ではないでしょうか。

稗田阿禮なる人物を、神話のそれと同列に見ることは出来ません。彼は当時の現代人なのですから。

卽勅]◯卽/スナワチ。そこで。◯勅/ミコトノリ。
◇一般的な解釈では「勅語」を熟字として扱い、この二文字でミコトノリと読み慣わしています。これは本居宣長の時代(或いはそれ以前)から不変です。

宣長は《古事記伝》の中で「こういう場合は通常、勅のみで表わすものだが…、まあでも勅語を使う事もあるだろう。」と、少し引っかかりを感じつつ受け入れています。

だけど、ここは「勅」の一字でミコトノリであり、「語」の字は次の阿禮に係ります。

語阿禮]カタリノアレ。◯語/語の臣。カタリノオミ。◯阿禮/アレ。者。
◇きちんと書けば「語臣之阿禮」(語臣の姓に属する者)であり、これを略してカタリノアレとなります。臣之の字を省いたのは字列を揃えるためでしょうが、カタリノアレという言い方も普通に使われており、誤解は生じないとの判断でしょう。

語臣阿禮は即ち稗田阿禮であり、語臣と稗田は同じ、という事になりますね。語臣はカバネでありウヂではありません。よって、稗田の頭に乗っている姓の字もカバネと読んで問題はありません。

 

◇《西宮記》などを根拠にした稗田阿禮・女性説を唱える人が古くからいます。薭田の女性=猿女君こと天宇受賣の末裔。だから、稗田(出身)の阿禮さんは女性。という事らしいです。

彼女達は単なる縫い子としての勤労者というのが基本の職です。たまたま彼女達を供給する郡〔ゴオリ〕の名が薭田(稗田ではない)であっただけです。恐らくは多くが十代であり、そんな少女達が語り部の役目を担っていたなんて…、どうも考えづらい。

時には、巫女に混じって舞に参加したり、大人(雇主)が外出する時、随行員の一人に加えられたり、といった事はあったようです。しかし、これらは “賑やかし” であって重要な仕事では有りません。

この説が、世間によくある「歴史上のアノ人物、実は女性だった!」という、世に媚びたお遊び話し、なんて事ではないのを望むばかりです。

令誦習]イイクラセル。◯令/~させる。◯誦/ノリ。イイ。言葉に出す。◯習/クリ。繰り。動作、作業などの意。ツ・クリ(作り)。メ・クリ(捲り)。タ・クリ(手繰り)。サ・クリ(探り)。シャベリ・クリ(喋くり)。また、ネタをクリ、などのクリ。

◇漢語に於ける誦習とは、文章を暗記する方法の一つとして、声に出して(誦)、何度も繰り返し(習)、読むことをいいますが、ここでの誦習に暗記の意味は無いです。

勅により阿禮は持ちネタを安萬侶の求めに応じて何度も誦習(イイ・クリ返し)をして、安萬侶はそれを文字に起こしていった、という事でしょう。

 

◇「勅語」とは、天皇が直々に口頭で伝える事をいいます。そこで、勅語阿禮の表記に対しての解釈が少々あらぬ方向に向かいます。

天皇が稗田阿禮に、帝皇日繼と先代舊辭を直接朗読して聞かせたのを、スーパー記憶力の持ち主である阿禮が一度聞いただけで全て完璧に覚え、後に安萬侶の傍らでこれを唱えた、という不思議な事になってしまう。

凡そ天皇という地位に居る人が、下働きの作業員(舎人)を相手に、膨大な量の資料を直接 “ 朗読による口伝え ” などという手法で、何時間(休み休みだと、或いは何十時間)もかけて作業をするでしょうか?
天皇が、何故しなければいけないのでしょう。

千三百年後の人達が、この部分を「阿禮に勅語して…」との読み下しをしている。もしも、この事を安萬侶が知ったら、一瞬目を丸くして驚き、そののち腹を抱えて笑い転げるに違いありません。

 

帝皇日繼]◯帝皇/ミカド。大ツ御・神(オホキツミ・カツキ)がミ・カツト→ミカドになる。◯日繼/ヒ・ツヅキ(ヒツギ)を記した王家の系図

及先代舊辭]◯及/マタ。~と。オヨビとも読むがここではマタの音に充てる。◯先代/サキツヨ。昔。上古。◯舊辭/伝承された話。

]シカレド。状・有・雖〔シカ・アリと・イエド〕も。(棚字)

運移世異]◯運/トキ。月日の巡り。◯移/ウ・ツツリ。うつり。ツツは、時間の経過、モノの移動など。◯世/ヨウ。時代。その大王の御世。◯異/変わり。時代の移り変わり。◇天子の代替わり、遷都(平城京)など。

未行其事矣]◯未行/イマダ・オコナイ・エズ。◯其事矣/ソノ・コトヲ・ヤ。

 

◇後段二もまた主要文と二行の締め句で成っており、それを分ける三文字からなる一行が有ったに違いないと考えます。この〼〼〼の一行は、後段一の8行目と同様の役割を持つものです。

    卽勅 語阿禮令誦習
    〼〼〼
    帝皇日繼 及先代舊辭

元は飾り書きによる、この書き様であったでしょう。「令・何々」(何々・させる)という語句を古事記では概ね下句に置くのですが、漢文ではこれを行の頭に置くことが多い。

後に詰め書きされた序の文を見た人は、これを漢文と判断したことによって、次の様な一文を一行と受け取り、思案する。

  令誦習 〼〼〼 帝皇日繼及先代舊辭

この〼〼〼に、どの様な文字が入っていたかは分かりませんが、読み下すうえで解釈が着かないものだったのでしょう。

書写人は散々考えた挙句、至った結論が『この三文字はどうにも読みようが無い。何らかの誤りで紛れ込んだのは、もはや間違いない。ここは後の人達のために取り除いておこう』と、敢えて “善意の削除” をやってしまったのではないでしょうか。単純ミスによる脱漏ではなく、意図的に消去された可能性が大きい。(「寔於作」の様な三文字だったか。)

《後段・二》(1~6/6)了。

…をぐな。