「序」の構成

【 解説・26 】
「二段説と三段説」

◇「構成」二段・各五節
 《古事記》の序は、二段(前段・後段)から成っており、それぞれ五つの文群に分けられた画面構成に仕立てられています。おそらく二気五行の考え方に則ったものでしょう。
序を見ると、《記》とは国史と云うよりも天皇家の家史といつた趣きの書であるように見えます。
古事記「序」の姿(2021-05-06)、参照。

 

 

【 二段説

◯「前段」
《一》濁混状態から天地が分かれた。それに合わせる様に、凡〔アラ〕ゆるモノの一対化「陰陽現象」が始まり、この世が形造られるその前兆を表わす。これを冒頭句とする。(現世起源)

《二》この世が出来て最初に顕れた神の天之御中主神から伊邪那岐命伊邪那美命天照大御神邇邇芸命、そして神武天皇に至る直前までの、王家の歴史を要約した文章であり、天皇宇宙神・太陽神の末裔である事を示す。(神の時代)

《三》神武に続く天皇の中で、崇神天皇仁徳天皇など数人を取り上げて記載する。(人の時代)
また、歴史を記した書物の内容が乱れていることを危惧し、これを正さなくてはならない、という言葉を締め句として置く。

《四》と《五》は、天武天皇の事蹟を載せる。古事記本文では扱わない大王に付いての記事。(壬申の乱と、即位後の治世)

 

◯「後段」
《一》国史作りに関する元明天皇(四三代)の思いを込めた詔を示す。

《二》稗田阿禮の紹介と、国史が未だ出来上がらない(運移世異 未行其事矣)ことを憂う。この運移世異とは天皇の代替わりや、平城京への遷都を云う。元明の代になって改めて「国史を完成させよ」との詔が発せられたということであろう。

《三》時の天子(元明)に対する賛辞。言祝〔コトホギ〕、寿詞〔ヨゴト〕などと呼ばれる。マツキの辞(メデタキ、マンヅイの祝詞)であり、後段(一 〜 五)の真ん中に置かれる装飾文。

《四》元明天皇が正式に詔をした日と、編纂作業に携わる者を記す。帝皇日継(王家の系図)は早い段階で出来上がっていたが、旧辞(伝承話)の原稿が滞っていた。

そこで天皇は語臣の者(語ノ阿礼、亦名稗田阿礼)に命じ、持ちネタを語らせた。その物語を安萬侶が詳細に文字化していき、完成したので献上することを述べる。

《五》文を綴る上での形式を説明する。文字の音訓表記に於ける利用方式(混淆・単一)や注釈の有無、また因習的表記はそのまま用いるなどをいう。

 

*「大抵所記者」以降の記載、〔書目〕と〔署名〕は序文に含まない。

 

 


三段説 

 一般的には三段説が主流ですが、そこでは序を次のように分けています。  ※〈 〉内は飾り書き(二段説)での位置を示す。

◯一段目、「臣安萬侶言」〈名告り〉から「・・・典教於欲絶」〈前段三、末行〉まで。

◯二段目、「曁飛鳥淸原大宮」〈前段四、一行目〉から「・・・未行其事矣」〈後段二、末行〉まで。

◯三段目、「伏惟皇帝陛下」〈後段三、一行目〉から最終行〈署名〉まで。

 

◇これにより、二段目は全て天武天皇に関わるものとされる。その結果、《古事記》編纂を命じたのも、阿禮にミコトノリしたのも天武天皇という判断が為され、現在ではこの解釈が定着しています。

あるいは「天武が国史記紀)作りを命じた人」という前提が盤石な先入観として意識下にあり、これを外す結論には持っていけない、という姿勢が、この様な分け方に落とさざるを得なかった、という事かも知れません。

稗田阿禮は元明天皇の時代に在って28歳(和銅四年九月の時点)の人である。よって、恐らく天武天皇には会ったことも無いでしょう。この現実を三段説は見えなくしてしまっている。

 

◇《記》の執筆に際して集められた資料は、日本書紀日本紀)の執筆者も大いに参考にしたでしょう。そして《古事記》もまた資料の一つとして、書紀の中では「一書曰」としての扱いとなった。

《記》偽書説の理由の一つに「続日本紀の中に《記》に関する記述が全く出てこない」というのがあります。しかし、執筆者にとって書紀だけが正統な歴史書であって、それ以外は資料という認識であれば、取立てて記事の出所、資料の説明などを示す事などしないでしょう。

例えば、《記》も沢山の資料を元に書かれています。《記》の中に「この文は某氏がもつA書に記載される」とか、「この部分についてB書では異なる記述になっている」など、一切見ない。安萬侶もまた資料に付いては触れていません。(まさか、《記》の全てが阿禮の口で語られたものだけで出来ている…なんて思ってないでしょうね。)

書紀の編者や続日本紀の執筆者もまた、《記》を資料の一つとして処理したというだけの事です。

その時代にあっては、書紀こそがあらゆる面で「唯一の教科書」という位置付けであり、歴史教本の扱いになっていました。(後の時代には折々〔おりおり〕に、“日本紀勉強会”のようなものが行なわれている。)

 

◇《古事記》編纂室に集められた資料群は、日本書紀編纂室の棚に移された後、旧辞紀執筆者の机上などを転々と渡り、終〔ツイ〕には散逸して個人の文箱に入れられたまま、放置され朽ちていったか。

何はともあれ、《古事記》だけは(一部の“物好き”により)大事に書写伝承され守られた。

…完了。