聖帝

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【 解説・10 】

《前段・三/ⅰ》(1~7/10行)

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○儛〔マイ〕を列〔ツラ〕ね、賊〔ヱミシ〕を討ち払う。歌を聞いて仇(災い人)をねじ伏せる。卽ち、夢に教わり神祇(武人)に敬意を表わす。これにより、賢后(賢明な王)と言われる。〈崇神天皇

国見の際、炊煙が寂しいのを見て、民の暮らしが困窮しているのを知り、税などを数年間免除した。その事から、今に至るまで聖帝(徳の王)と言い伝えられる。〈仁徳天皇

曖昧だった地域の境を定め、適当に散らばって暮らす民を統率する長を任命し自治を作った。近つ淡海に宮を置く。〈成務天皇

姓や氏が乱れているのを整理した。遠つ飛鳥に宮を置く。〈允恭天皇

 

列儛攘賊]◯列儛/不詳。マイをツラネ。◯攘/討ち払う。◯賊/ヱミシ。まつろわぬ者。◇賊の字義は悪人を表しますが、戎ヱビスに貝へんを付けた文字であり、ヱミシの音に充てます。元の音はケツキ。

聞歌伏仇]◯聞歌/不詳。ウタをキキ。◯伏/ネギ・フセ。ねじふせる。討ち倒す。◯仇/アダキ。災い人。敵勢力。◇蛮人や従わない者をヱミシといい、災いをもたらす者をアダキといいます。おもに敵対する者を指す言葉であり、互いに相手をそう呼んでいたでしょう。

◇ここにある列儛や聞歌が何を表示するものか不明。記紀の記述の中に見当たりません。ただ、この行は武人を称える内容になっています。一つ前の行に八咫烏、次の行に神祇、これらは共に戦闘員です。

歌といえば、神武記に八十健や登美毘古との抗争時、宇知弖志夜麻牟の「聞歌之者、一時共斬」〈歌を聞きしば、もろども一斉に斬りかかれ。〉とあります。一方、崇神記には、少女が歌う「美麻紀伊理毘古、波夜…」などが見えます。

]スナワチ。(棚字)[覺夢而敬]◯覺夢/イメにサトリて。夢判断。◯而敬/シテ・イヤマイ。敬意。重んじる。尊ぶ。[神祇]カムツキ。武人。戦闘員。(解説5/前段二・四行目に同じ)[所以稱]◯所以/コノユヱ・ニ。◯稱/マヲス、またイウ。[賢后]カシコ・キミ。賢王。后の本義は王。

崇神天皇(十代)の世。国の状態があまり良くなかった時、夢に大物主大神が顕れて「我を祀らば国安らかになる」というので、大物主の社を定め、また諸々の神にも御幣などを奉る。ここに疫病は息み、五穀は稔り、庶民の暮らしは富肥〔ほこ〕える方向に変わった。

これ故に賢后(聡明な大王)と呼ばれる。崇神は夢占いが好きだったようで、書紀には何かにつけ夢のお告げで決めようとする記事が載っています。また神祇を強く敬う(大切にする)ことによって、夢の中で最良の啓示を願う、というのが記紀での崇神像の一面です。

望烟而撫]◯望烟/ケブリ・ノゾミ。炊事の煙。竃の煙。◯而撫/イツクシミ。イタワリ。[黎元]クサツミ。農民。一般民衆。[於今傳]◯於今/イマ・ココニ。イマニ。◯傳/=伝。語り伝えて。[聖帝]ヒヂリ・ノ・ミカド。徳が深い王。

仁徳天皇(十六代)の世。よく知られた逸話ですが、《記》本文では下に示す三行の姿で書かれています。

   於是天皇登高山 見四方之國
 詔 之於國中烟不發 國皆貧窮故
   自今至三年悉除 人民之課役

*「課役」とは税と労役です。この後、大殿が雨漏りしても破損箇所が有っても、民を使っての修理さえしなかった。書紀では、三年が過ぎ、民の暮らしも豊かになってきたが、免除は続けられ、最終的に六年を経て課役が再開されたといいます。

この時、人々は進んで税を納め、宮殿の修復には老人や子供たちまでもが率先して材を運び、労を惜しまず作業に参加したと記されます。これにより時を経た今尚、聖帝と呼ばれます。

 

※中央の平句行頭にある「之」の字ですが、置かれる場所について少々違和感を覚えます。
例えば、
「於國中 烟不發」
〈国の中〔ウチ〕に、烟〔ケブリ〕たたず〉
或いは、
「於國中 烟不發」
〈国の中に、之〔コレ〕烟たたず〉
この様な形が「之」の元の位置ではなかったでしょうか?

[詰め書き]
於是天皇登高山見四方之國詔於國中烟不發國皆貧窮故自今至三年悉除人民之課伇。

[解釈書き]
於是、天皇登高山見四方之國。詔、於國中烟不發國皆貧窮。故、自今至三年悉除人民之課伇。

 

*飾り書きが詰め書き文にされた後、次にこれを見て書写する人が “ 気を利かせ ” て、詔の字に添わせるべく「詔之」と、文字の移動が為された可能性があります。

 

 

◇「序」の全体を見ると、ここまでは上句四字で揃えられていて、上句下句を分ける一文字分の空き升が横一線に続いていました。ところが、これを破壊する行が現れます。

※飾り書き技法の一。全体の上句字数を統一させた中に、それとは違う字数の行を敢えて作り、秩序を壊す。これにより視線は否応無くこの行で止まり、注目させることができます。

また、画面全体のアクセントとして“遊び効果”の役割りも果たします。ここでは賢后、聖帝、を強調させようと意図していますね。

このような不揃いの変則行を、仮に「崩しの行」と名付けておきます。

定境開邦]◯定境/山河など地形により国県の境を決める。◯開邦/管理者の居ない土地に国造を立て、県邑に県主を定める。

制于近淡海]◯制/定める。決める。◯于/〜に。◯近淡海/チカ・ツ・アフミに。近淡海之志賀高穴穂宮。◇近淡海は琵琶湖です、普通は。ただ、この時代にあって「近ツ淡海」は巨椋池の可能性もあります。また、志賀が今の滋賀県とは限りません。

成務天皇(十三代)の世。この大王は長生きをし長く王位にありましたが、その割には記紀ともに記述の量が少ないです。しかし、此処に取り上げられる仕事もしています。

書紀によると高穴穂宮は、景行天皇(成務の父)が晩年に移り住んだ地としています。すると成務自身が宮の地と“制めた”ものでは無い事になります。

あるいは、年老いた父(景行)の代わりに事実上の当主として、新たな宮作りを進める立場にあったのでしょうか。

正姓撰氏]◯正/タダシ。糺。◯姓/カバネ。①一つの小集団を表わす呼び名。カブ。②地位・階級の呼称。◯撰/ヱラビ。よりわけ。◯氏/ウヂ。人。また、家、血縁者、一族、などの呼称。但し、元は武人系の家来を表わす音と文字(ウヂ・氏)でした。

勒于遠飛鳥]◯勒/オサメ。置く。刻む。◯于遠飛鳥/トオ・ツ・アスカに。大和の飛鳥宮奈良県橿原市の明日香。◇允恭天皇(十九代)の世。仁徳の四男。安康(二十代)と雄略(二十一代)の父。

 

《前段・三/ⅰ》(1~7/10行)

《ヲグナ》