神武東征

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【 解説・9 】
《前段二 /ⅵ》(14、15、16/16行)

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○伊波禮毘古は(日向を出発し)秋津島の瀬戸内海に面した幾つかのクニを経て、東に向かった。

出川〔イヅカハ〕が熊(濁流)となり軍団は弱るが、天剣を高倉下によって獲得し生気を取り戻す。

生尾人(山中の住民)と山道で出遭う。(熊野の原生林を)大烏の道案内で吉野に向けて進む。


神倭天皇]◯神倭/カム・ヤマト。大和。◇神の字は、カムまたはカン(偉大なモノを表わす接頭辞)の音に充てた仮名表字、それ以外の意味は無い。大倭とも書く。倭の字は漢書が日本を指すのに用いる侮蔑的文字であるが、これを無邪気に踏襲している。

天皇アキツキまたアキツミ、オホキミ、スメラミコト、など多くの呼び方がある。ここでは次にあるアキツ・シマの音に合わせて、アキツミを採る。社会を統治する人。また集団の長の意。

若御毛沼命(幼名)は記・中巻から神倭伊波禮毘古命になりますが、大王になって神倭伊波禮毘古天皇と表記される。ここ(序)では、この名から伊波禮毘古をバッサリ省き、前後の二文字ずつを残して、神倭・天皇としています。

 

 

經歷于秋津嶋]◯/ヘ。ヘツ。経由。移動。通り過ぎる。◯/フリ。道を辿〔たど〕り歩く。行き着く。◯于秋津嶋アキツ・カシマに。(後にアキツ・シマ)

アキツカシマとは、①優れた地域、大きく豊かな土地、などを表わす普通名詞。②国土全体を表わす名で、古代・上代に於いて日本の別名。③大和盆地の固有呼称。

 

ざっくり言って、上のような幾つもの意味があります。ここでは伊波禮毘古が転々と移動した道のりを云ってるので②を指す。

 

 

化熊出川]意義不詳。熊は猛威の意。本文に「大熊髪出入即失」という文字があるが、これと関係しているのだろう。ただ、この本文の意味も分からない。

◇太古語に於ける川の基本呼称は、キツ・カワといいます。木津川〔きづかわ〕、吉川〔きっかわ〕、鬼怒川〔きぬかわ〕猪名川〔いなかわ〕など皆この音、もしくはこの音からの転化音です。

 

キツがイヅと転じ、この音(イヅ・カワ)に出川の字を充てたという解釈も可能です。すると化熊出川は「川の氾濫」(イヅ川、クマと化し)という事になります。

 

伊波禮毘古一行は紀国のどこかの川で酷い目に遭った。例えば、イヅ川を上〔のぼ〕ろうとしたが大雨で水量が増し、その激流によって舟が流され、或いは転覆し全員が水中に投げ出されてしまった、という事でしょうか。

 

《書紀》では「海中卒遇暴風、皇舟漂蕩」〈海上にあって卒〔にわか〕に暴風に遇い、皇の舟、漂蕩〔ただよい〕き〉とし、川は出てきません。

 

一説に「の字はの誤りか」というのがあります。先程も少し触れました、《記》本文にある「大熊髪出入」からの発想でしょう。出川が出入だとすれば、現地の強力な戦闘集団との出入(抗争)を意味するとも考えられます。

 

ほかに、川の字はという説もあります。また、宣長の誤りではないか、としています。いづれにしても、的を射た説は未だ思い至らず、というところです。

 

▽ちなみに。三重県松坂市辺りを河口とする雲出川〔くもずかわ〕という川があります。ここでの出の字はズ(ヅ)の音に充てています。恐らく元は「キヅ•川」または「キツ•ツツ•川」→「クモ•ヅ•川」ではないかと思われます。

熊や雲の字を使う意味は、この川が人々にとって脅威となる川(暴れ川)だったからでしょう。

熊出川雲出川、無関係なのでしょうか? この二つが同じ川という事は無いにしろ、同じ意味を持つ呼称(表記)と考えることはできます。

 

 

天劒獲於高倉]◯天劒/劒=剣。天神から賜った横刀。本文に「此刀名、云佐士布都神。亦名、云甕布都神。亦名、云布都御魂。此刀者、坐石上神宮也」とある。◯獲於高倉/タカクラ・ニ・エツ。高倉下(オホクラヂ=人の名)の略。高倉は大倉に同じ。

 

◇伊波禮毘古一行が熊野でひしがれている時、高倉下という人が一横刀を献上してきました。高倉下の夢の中に、天照大御神が現れて「お前に横刀を預ける依って、これを天神御子(伊波禮毘古)に献れ」と、命ぜられたらしいです。

翌朝、目覚めると真事に太刀があり、急いでお届けに参りました、と説明しています。それで、これを天剣と云っています。

 

生尾遮徑]◯生尾/キツヲ。キツ•ヲビトの略。記本文に生尾人とある。

◇次のような事が考えられます。①字義通り尾が生えた(ように見える格好・風体)の人。②人の意。キツ・キツキから転じたキツ・ヲビトの音に生ツ尾人の字を充てる。これを略した生尾はキツヲの音になります。

遮徑/ミチを・フサギ。山奥のケモノ道を歩いてる途中に出遭った、という程度の意。径(小道)に立ちはだかり通行を遮った、という訳ではない。

 

大烏導於吉野]◯大烏/アツ・カラス。また八咫烏〔ヤタ・カラス〕。

◇アツは「大」の意もありますが、「多い」の意でも使われます。その場合、ィアツ(ヤツ)、ヤタ、といった音になります。アツなら大、ヤツなら八、ヤタの音なら八咫の文字を使った、ということ事でしょう。

 

戦闘員を表わす呼称は幾つかあるのですが、その中の一つにカラツキという言葉があります。この音の一つの転化形がカラスなどになります。よって大烏(アツ・カラス)は「多くの兵」を意味しています。◯/ミチビキ。先導。案内。

 

◇《記》本文に「自此於奥方莫使入幸、荒神甚多。今自天遣八咫烏故、其八咫烏引道従、其立後応幸行。」〈此れより奥の方〔かた〕へ使い無しで入り行くが、荒ぶる神甚〔いと〕多し。今、天より八咫烏を遣わす故〔ゆえ〕、其の八咫烏の道引きの從〔まにま〕に、其の後ろに立ち、応〔つ〕きて幸行〔いで〕ませ。〉とあります。

《書紀》では「乃尋烏所向 仰視而追之」〈乃ち、烏の向かいし尋〔まにま〕に、仰ぎ見て追う。〉とする。

これは単なる道案内ではなく、他族のテリトリーに立ち入る時に必要な地元ヤクサ(ヤツ・クサヌキ)への「とりなし役」でもあったのでしょう。

 

於吉野/ヨシノ・ニ。またはキツノ・ニ。吉野の字は一般的にヨシノと読むが、この文字を最初に使った部族はキツノの音にこの字を充てた。

◇吉の字音として、キ、キツ、キチ、ヨシ、エシ、エ、などありますが、これら全ての音を同じ集落内で同時期に使っていたとは思えません。

キツ系の音で使う部族と、ヨシ・エシ系の音で使う部族がいたと思われます。ここでは「キツヲが道を遮〔ふさ〕ぎ、キツノに大烏が道引き」という音合い表現をしています。

◇「吉野の読みはヨシノである」この事に付いて異論を挟む人は居ないし、疑問を持つことすら無いですよね。大和時代でも既に多くの人がそう思っていたかも知れません。

 

しかし、『ここでの吉野の字は、絶対にキツノの音に充てたものだ』という “戯言〔ざれごと〕” にも聞こえるツブヤキ説を見て、いったい何人の人が相手にして呉れる事でしょうか。

(前段二、了)