言祝ぎ

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【 解説・19 】

《後段・三》(1~8/8)

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○僭越ながら思いますに、皇帝陛下。
天位を得て普〔あまね〕く其の徳を広め、王座にあって三〔みつ〕に通じ、民を教え導く。紫宸殿(御所)に居まして徳は陸路の僻地まで被い、皇居に坐してその教化は海路の至る果てまで照らされる。

朝日に浮ぶ輝きの重なりは、雲の棚引きやカスミでは無く、立ち昇る瑞光・慶雲である。(田には)枝が連なり稲穂がひしめき、この吉祥を記す記事が絶えない。
烽火〔のろし〕を列ねる遠方から、或いは何人もの通訳を介する遠隔の地からやって来る者達の、献上する貢物を入れる倉が空になる月は無い。

その名声は文命より高く、有徳は天乙に秀でると言える。

 

伏惟]フシて・オモイ。(棚字)◯伏/身を低くする。◯惟/=思。オモンみる。カムガヘリ。◇伏惟は臣の者が上位者に対して自分の考えを述べる時の書き出し文字。

◇後段三を作る八行は、1・2.3.4・5.6.7・8、と分けることができます。1は日本の王、8は大陸に居た名君との誉れ高い王の名を挙げ、日本の王はその名声と徳に於いて、彼らに勝るとも劣らないといい、2.3.4はその勢力範囲を、5.6.7はその富を称賛しています。

皇帝陛下]天子。今上(元明天皇。◇皇帝陛下という表記は唐風であり、後段三が既製の形式文であることを示すものです。

得一光宅]◯得一/一を得る。天位に即〔つ〕く。◯光宅/民を養う。あまねく照らす王の徳。[通三亭育]◯通三/三才(天・地・人)に通じる。王座に就く。◯亭育/民を化育する。

御紫宸而]◯紫宸/紫宸殿。儀式などを行う宮の主殿。天皇の住まい。皇居。◯御・而/居まして。御〔ギョ〕して。天子として執務に就く。[德被馬蹄之所極]◯德/道義の教え。◯被/コウブリ。覆い尽くす。◯馬蹄/ヒヅメ。◯之所極/陸上の全て。陸路の果て。局地。所は戸(ヘ、またヘツナ)。

坐玄扈而]◯玄扈/皇居。紫宸と同じ。◯坐・而/居まして。御・而と同じ。[化照船頭之所逮]◯化/=教化。徳の教え。◯照/テラシ。広く覆い浸透させる。◯船頭/ヘサキ。舳先。舵取人の意ではない。◯之所逮/逮は、及び、とどき。

日浮重暉]◯日浮/朝日と共に浮ぶ(出現する)。◯重暉/輝くものが何重にもなって現れる。瑞光。[雲散非烟]◯雲散/雲のタナビキ。◯非烟/ケブリにアラズ。烟=煙。モヤ、カスミ。

◇この行は慶雲(縁起の良い験〔しるし〕)を具体的に示そうとする文です。《延喜式》に、祥瑞の最高位である大瑞の一つとして「慶雲。状若烟非烟、若雲非雲」とあります。

連柯幷穗]◯連/ツラネ。つらなり。◯柯/スズキ。柯の字義は茎や枝の意を持つが、ここでは稲木をいう。

◇刈り取った稲木を干すために並べ掛けたものもスズキといいますが、一般的に沢山の実が付く背の高い草をススキ(ツツキ)と呼んでいます。◯幷穗/穂(実)が密集するさま。瑞祥。

◇稲そのものはイナキ(稲木)といい、その先に有る実が付く部分をホ(穂)といいます。全体としてイナキノホと呼びますが、これを略してイナ・ホ(稲穂)という語になり一般化します。

之瑞史不絶書]◯之瑞/コレ・ミヅキ。ミヅツキ→メデタキ。瑞祥。◯史/アヤ。ふみ。記録文書。◯不絶/タエズ。◯書/カキ・シルシ。記載。

列烽重譯]◯列烽/ツブヒ(ツツ→ツブの転音、トブ)。狼煙〔のろし〕による伝達。◯重譯/譯=訳。ヲサダをカサネ。二回以上の翻訳(通訳)を介する土地。転じて遠い国の意。◇ヲサダはキツカ(ことば)が、クォツカ→ウォスタ→ウォサダ、と転じた語。

之貢府無空月]◯之貢/コレ・ミツギ。税や献上品。◯府/ナヤ。ナのヤ。大切な物の収納庫。納屋は音書きの充て字。◯無空月/カラになる月が無い。空=ナキ→ンナキ→ムナシ。

◇柯〔スズキ〕と烽〔ツブヒ〕、連〔ツラネ〕と列〔ナラベ〕、穂(キツカ→イナホ)と譯(キツカ→ヲサダ)、幷〔アハセ〕と重〔カサネ〕、さらに瑞・史〔ミヅキ・アヤ〕と貢・府〔ミツギ・ナヤ〕、これらの音を意図的に並べている。

可謂]イヒツベシ。言い切る。(棚字)
名高文命]◯名高/名声。名高さ。◯文命/夏〔カ〕の禹王。[德冠天乙矣]◯德/自らを高め他を感化する優れた人格。倫理の規範。◯冠/マサリ。秀でる。◯天乙/殷〔イン〕の湯王。

◇後段三は、時の天子(元明天皇)に対して賛辞の句を述べています。縁起のよい言葉(寿、万歳の類語)を並べた吉祥文です。漢籍(文選)などからの借用や、祝詞にある馴染みの台詞によって作られた単なる既製の文言の羅列であり、後段(五つの文群)の真ん中に嵌め込んだ割付け紋様のような一文群と言えます。

ただ、当時としてはこういう験〔ゲン〕を祝う言葉が大事だったのでしょう。「天皇詔之、朕聞…」(後段・一)を受けての答辞的文言。

 

《後段・三》(1~8/8)…了。