◇「漢字の使い方」
漢字とは基本的に表意文字ですが、日本人は昔から表音文字としても使ってきました。恐らく、漢字に接し始めた初期の頃から、借音記号として使ってたのではないか。
普段使っている言葉を文字化したいと思った時、声をそのまま表せる假名書きは、間違いなく手っ取り早い方法だったでしょう。
假名のみによる表現と、意味を持った文字としての表現、この二つを使いながら、日本人は漢字に馴染んで行ったと思われます。そして、漢字假名交じり文(假名も漢字)=表意表音・混じり書き、へと進みます。
*「記紀」の表現
古事記は和語を基本としており、書紀は純漢文で書かれる。記紀を書いた人たちは、その文章をどの様な音で読む事を前提としていたのでしょうか。これは当時の日本語に関わってくる事なので、難しい課題です。
和歌や祝詞〔のりと〕など、話し言葉に近い文字群を見ながら、探っていくしか無いですね。使われている漢字の音は、同じ単語に対して、異なる文字が假名として使われていれば、その音はある程度特定されるかも知れません。
◇《古事記》歌に使われる假名
《記》の歌は假名(表音文字)で書かれています。しかし、この時代に在っては未だ一つの音に対して一つの文字が定まっていた訳ではありません。同じ音を持つ別の文字が使われる事も多々あります。これは「思いつくまま適当に」ではなく、「この方が変化があって面白い」と、意図的にやっているように思われます。
*「假名」
歌に使われる“音書き”は、次の様な文字が使われます。(※キヒミ.ケヘメ.コソトノモ、ギビ.ゲベ.ゴド、この各音は二種〈甲類、乙類〉がある。)
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ア・阿。イ・伊韋。ウ・宇。エ・延。オ・遠於淤意。
カ・加迦何。キ・岐棄紀貴疑。ク・久玖。ケ・祁氣。コ・古許胡。
ガ・何賀。ギ・藝疑。グ・具。ゲ・牙宜氣。ゴ・碁。
サ・佐。シ・志斯芝士。ス・須。セ・勢世。ソ・曾蘇。
ザ・耶奢邪。ジ・士。ズ・受。ゼ・是。ゾ・叙存。
タ・多當田。チ・知遲(治)。ツ・都。テ・弖。ト・等登杼斗刀。
ダ・陀田。ヂ・治。ヅ・豆。デ・傳〈伝〉。ド・杼度(登)。
ナ・那(奈)。ニ・爾邇。ヌ・奴(野)。ネ・泥。ノ・能怒。
ハ・波(婆)。ヒ・比斐肥。フ・布(富)。ヘ・幣閇。ホ・富本菩。
バ・婆。ビ・毘備。ブ・夫。ベ・倍辨(辦)。ボ・煩。
マ・麻摩。ミ・微美味(彌)。ム・牟。メ・賣米。モ・毛母。
ヤ・夜。ユ・由。ヨ・余與用(豫)。
ラ・良羅。リ・理。ル・流留。レ・禮。ロ・呂盧藘漏路
ワ・和(波)。イ・ヰ韋。ヱ・惠。ヲ・袁遠。
ン・牟。
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※此処に示すのは、あくまで歌に使われる文字であり、通常の記事ではこれ等以外の文字も使われます。
・「遠袁」の字
遠はオヲの両方で使うが、袁はヲのみでありオで使うことはない。ヲの発音はウオ と書くことができます。この音を遡るとキに行き着きます。キ→キオ→クオ→ウオ(wo)と移る。
男尾緒など今はおと読む字も、元はキから転じたヲ(ウオ)です。
・「ザ行音」
カタ仮名で書けばザジズゼゾですが、使われている文字を見ると、ジァ・ジィ・ジゥ・ジェ・ジォ、の発音もあったか。現在でも地域によって高齢者がセンセイ(先生)をシェンシェイ、ゼンザイ(善哉)をジェンジャイと発音する。
・「テ」の音
この中で「弖」だけが国字ですが、テの音を表わす漢字が無かったのか、何かの略字か。訓を持たないこの文字が生まれるに至った理由があるはず。
・「爾邇」の音
二〔ni〕の音に使われますが、単語の中の二の音、助詞としての二、共に爾邇が用いられています。クニ(国)の音に久爾も有れば玖邇も有ります。
・「ハ行」の音
この時代ではh音を独立音として扱っていなかったと思われます。よってハ行音は、フ(ph)を基音とする拗音で、ファ・フィ・フゥ・フェ・フォ、と発音していたでしょう。
・「怒」の字
「多加佐士怒袁〔タカサジノヲ〕」高佐治野を…。
ここに使われる「怒」は「野」を表わす仮名として使うが、発音が「ノ」なのか「ヌ」なのかはハッキリしない。上代和語では野をヌとも発音していたフシがある。
・「毛母」の字
万葉集では、使われ方に違いは見受けられません。ただ、《記》では使い分けが為されていると、言われています。
・「牟」の字
和語にはンの音が頻繁に出てくるが、これを表す漢字が無い。そこでムの音を持つ牟無无などの文字を便宜的に使っていた可能性がある。古代だけでなく平安時代の書き物にも目にします。
*「言霊〔ことだま〕」
一般論として、歌や詩というのは内容さえ伝われば良いというものでは有りませんね。言葉そのものが持つ力、また旋律や言い回しが大切です。
記紀ともに歌は假名書きされています。漢詩のように漢字の音読み・訓書きで書いたのでは、俳句を英語で直訳したようなもので、意味は分かるでしょうが、空気感は伝わらない。執筆者はその事(音)の重要性を理解していたのでしょう。
※《記》には百余りの歌が掲載されていますが、正確な歌数については今のところ決めかねます。長歌の中には、これを一つの歌と見るか、複数の歌と解釈するかという問題があり、この分け方によって数が変わってきます。
◇「漢字假名混じり」
歌は和語・音書き使用(假名)で綴られていて、音を探るだけでよかった。しかし、《記》に於ける一般の文章は、音書き・訓書き、これを混ぜて使います。後年のように、ひら仮名・カタ仮名があれば、その違いは明瞭ですが、当時は假名も漢字です。それにより、音字が訓字かの判別に戸惑う。
後年の解釈の中には、音字仕様で書かれている文字を、訓字と受け取ってしまった説明も見受けられます。
*「音訓の誤解」
記紀や他の古文書に使われる漢字の受け止め方について、しばしば厄介な事が生じます。音書き(假名)として使う場合でも、その言葉の意味に関連した文字を使うことが、しばしばありますね。
読む人はこれを訓書きと判断してしまい、その解釈に依った“お話”が作られ伝承される。
例えば、山を表わす一般名詞であるキツ・カヤマが、→ミツ・ウァヤマと転じた音に「三ツ・輪山」の字が充てられた。この三輪〔ミツワ〕から、赤糸が糸巻きに三巻きだけ残っていた話ができます。
昔噺にも影響をあたえます。敵対するキツ・カツマ(嶋・国)のキの音に鬼の字を使い「鬼ツ・嶋」の字を充てだけなのに、鬼を訓読みにしてオニ・カシマ(鬼ヶ島)と読み、桃太郎の鬼退治になってしまいます。〈◎地名国名[008][009]「キツ・カツマ」2021.11. 参照。〉
漢字の訓に反射的に飛びつくのではなく、音書きの可能性も頭に置くべきでしょう。
▽ちなみに
《古事記》の歌に使われる假名で「君が代」を書くとこんな感じ。
貴微賀余波 知余爾夜知余爾
佐奢禮斯能 伊波袁登那理弖
許祁能牟須麻傳