「記紀」の書き出し

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「書き始め文」

*《古事記》の「序」では、この世の始まりを次のような二行・十六文字(プラス棚字)で表し、これを冒頭句として据えます。(※【解説・3】冒頭句。2021-6-11、参照)

  夫 混元既凝 氣象未效
    無名無為 誰知其形

  然 乾坤初分 參神作造化之首
    陰陽斯開 二靈爲群品之祖

 

 

*《記》の「本文」では、この世の始まりに付いての記述は「天地初發」のたった四文字だけで、ほぼ無きに等しく、いきなり神々が登場します。

もっと言うと、ここの天地初發は「序」に於ける乾坤初分に該当する句と考えれば、《記》本文には冒頭文(この世の始まり)が無い、とも言えます。安萬侶は何故、それを置かなかったのでしょう。

   天地初發 之時
   高天原 成神
   名 天之御中主神。
   次 高御產巢日神。
   次 神產巢日神
   此三柱神者
   並獨神成坐而 隱身也。


 次 國稚 如浮脂而
   久羅下那州多陀用幣流 之時

   如葦牙因萌騰之物而 成神
   名 宇摩志阿斯訶備比古遲神。
   次 天之常立神
   此二柱神
   亦獨神成坐而 隱身也。

 

◯天地が分離して、天の神、地(海)の神が顕れ、そして隠れます。その次に顕れる阿斯訶備比古遲〔アシカビヒコ・ヂ〕や天之常立〔トコタチ〕は、土または固体(の象徴神)を意味します。

 

 

*《書紀》では、次のような文章①で始まり、これに続いて神々の名(の部分)が並びます。


古天地未剖陰陽不分渾沌如鶏子溟涬含牙淸陽者薄靡爲天重濁者淹滯爲地精妙之合搏易重濁之凝竭難故天先成而地後定然後神聖生其中焉故曰開闢之初洲壞浮漂猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物狀如葦牙。便化爲神國常立尊至貴曰尊自餘曰命、並訓美舉等也下皆效此。次國狹槌尊、次豐斟渟尊、凡三神矣。乾道獨化、所以成此純男。

 

○書紀の書き出し文(この世の始まり)については「…神聖生其中焉。」まで、とするのが定説化しています。しかし、話の転換場面では「于時」がしばしば使われます。

この文章でいえば、『この世の始まりの頃、濁混の中に一切の生命活動はなかった。悠久の時を経たのち、天地分離の刺激に伴って僅かではあるが水の中にエネルギーの兆しが生まれつつあった』という意味の説明記載をした後、これに続いて「于時、天地之中生一物…」と、神々誕生の話に入ります。
したがって「于時」の直前「…浮水上也。」までが冒頭文として一区切りと見ていいでしょう。

ただ、此処に妙なモノが見えてきます。この「詰め書き」された文章を「並び書き」にしてみると②の形になります。


 古天地未剖陰陽不分
 渾沌如鶏子溟涬含牙
 其淸陽者薄靡爲天
 重濁者淹滯爲地
 精妙之合搏易
 重濁之凝竭難
 故天先成而地後定
 然後神聖生其中焉
 故曰開闢之初洲壞浮漂
 譬猶游魚之浮水上也。

 

さらに②を少し手直しして「飾り書き」にすると次の③になります。各行に一文字分の空き升を設けて上句下句に分ける。前から二行目、後ろから二行目に棚字を置くことで全て二行一組、且つ左右対称の構成となりました。

例えば、「」の字はマタと読み、③の位置に置かれるべきでしょう。この飾り書き③を「詰め書き」にしたものが次の④です。(※青字は①②と③④との間で、加除、移動、が為されたと思われる部分)


   古天地未剖 陰陽不分
  渾沌如鶏子 溟涬含牙
   其淸陽者 薄靡爲天
   重濁者 淹滯爲地
   精妙之 合搏易
   重濁之 凝竭難
   故天先成 而地後定
   然後聖神 生其中焉
 故 曰開闢之初 洲壞浮漂
   譬猶游之魚 浮水上也



古天地未剖陰陽不分渾沌如鶏子溟涬含牙其淸陽者薄靡爲天重濁者淹滯爲地精妙之合搏易重濁之凝竭難故天先成而地後定然後聖神生其中焉故曰開闢之初洲壞浮漂譬猶游之魚浮水上也。

 

①~④を並べて見て、その画面構成に於いて③が最も美しいのは誰の眼にも明らかですよね。中央上りの構図(行末の稜線)は、立ち騰〔のぼ〕る強いエネルギーを表現しています。二行一対を五組揃えた文型は、二気五行を意識した構図ですね。

一つの文群の、“前から二行目と、後ろから二行目に棚字を置く” という形は、《記》序の前段・三と五でも使われています。レイアウトとして定番の一つなのでしょう。

 

始めに書かれたのは、恐らくこの③であったでしょう。ただ、この文章が何時作られたのかは定かではありません。記紀が出来るより遥か昔から有ったのか、最近(八世紀になってから)誰かが作ったのか、とにかく、書紀作りの命により集められた資料群の中にソレは有った。

この文を基にして、書紀の執筆者は漢文としての不備な部分に手を加え(而の字の乱用)①の文章を作った。つまり、③→④→①の順で移っていったと思われます。或いは、③から直接①への書き変えが行われたか。

いずれにしろ、①への転写では幾つもの箇所で文字の刪改が行われたことにより、読み下しにも微妙な変化が出てきます。

最終の語句を見てみると、①②では「譬〔たとえ〕ば游魚〔ユウギョ〕の水の上〔ヘ〕に浮けるが猶〔ごと〕し」となるのに対し、③④では「譬えば游〔たわむれ〕し魚〔ヲ〕の猶く、水の上に浮きぢ」と違いが生じる。さて、どちらが自然な文章でしょうか。

 

○此の文章、元々は古事記(本文、または序)の書き出し文だったのでは? 其れを剥ぎ取って通常の漢文になるよう手を加え、書紀の書き出し文に使ったか・・・? ③を見てるとそんな疑念が、フワフワ浮遊(游れ浮かび)します。

全て推測です。残念ながら真実は分かりません。一つはっきりしているのは、飾り書きを一切排除している書紀の冒頭文が、元は二行一組を五つ並べた飾り書き(十行構成の文章)であった、という事実です。

 

▽ちなみに。
 書紀は、この世界が出来て最初に顕れた神を國常立尊〔クニノ トコタチ ノ ミコト〕としています。
幾つかの一書曰では、色々な神の名も並べますが、本文では國常立という立場を採っていますね。

《記》に「三柱神…隱身也。國稚…、成神」〈三神が顕れ、隠れました。次に国稚〔わか〕く…、成る神--〉

書紀に「故天先成而地後定」〈天が先に成り、地(海)が後に定まる〉

と、書かれているにも関わらずです。「地後定」としているのに、“ 底土 ” を最初の神とする。常立〔トコタチ〕(また底立〔ソコタチ〕とも書く)の元の音は土を意味するツキツキですが、其のコトに全く気付かない。

 

 

*分厚い漢字辞典を携えてやって来て、画数の多い漢字をやたらと好み、その国に残る文章を純漢文に変換する、そんな作業を請け負う代書屋。彼ら(書紀執筆者)は、案外そんな人達だったのかも知れません。