漢字の扱い「御」⑵

「御」という字

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◇「アキツノ」とは。

その昔、アキツノという言葉が有りました。この語音で表わす言葉には、幾つかの全く意味の異なる形があります。

 

・「アキ・ツノ」は狩場。
アキは食料・食材を意味し、それを獲る土地(野)なので、アキ・ツノです。助詞のツ(ヅ)の音を省いてアキノともいいます。この音に阿岐豆野、秋野、といった字を充てます。
かつて物々交換をアキ・ナイ()といいました。アキ・ツ・アキ(モノとモノ)→アキ・ヌ・アイ→アキナイと移ります。
〔アジ〕という語音もまたアキであり、キが→チ→ヂと移ってアキ→アヂになる。(またはキがシになり、アキ→アシ→アジの形も有り得る)

食材はですが調理をした食べ物は(クェ)になり、食べる事は(ク)の音を使いました。
料理を作る人をアケツ・ツキ、これが女ならアケツ・ツメ、アがアハ→オホと音転して、アハケツ・ツメ→オホゲツ・ヒメと呼ばれる。(大氣津比賣、大宜津比賣などは充字)

 

・「キツノ」は無垢な土地。
人の手が入ってない土地をキツノといいました。多くは、土地が痩せていて農地としては使えない、荒地や湿地で居住地としても使えません。そこで、墓地として使われる事がしばしばありました。
「キツ」は色々な音に移ります。キツノ(吉野)、キタノ(北野)、クサノ(草野)、ヒラノ(平野)、イシノ(石野)、シツノ(志野)、ヒツノ(日野)…。埋葬地が多い。

 

・「ア・キツノ」は風光明媚な土地。
キツノ(自然地)の中でも、ある程度の広さを持った平地また丘陵地で、景色が美しく心地よい土地は、頭にアを付けてアキツノと呼びます。

このの音にを使い、キツノ吉野を充て、アキツ御吉野と表記されます。またアキシノと転じた音には秋篠といった文字が使われます。(※地名国名[036][037]2022-01-04参照)

 

 

*「御吉野」の音

《雄略記》に次のような歌があります。文中で先ず詞書に、阿岐豆野〔アキヅノ〕の文字が使われる。これは狩場のアキ・ツノでしょう。

その後に続けて、歌では美延斯怒〔ミエシノ〕と真假名表記になっています。※獦=狩また猟。

 卽幸阿岐豆野而 御獦之時
 天皇坐御吳床 爾虻咋御腕
 卽蜻蛉來 咋其虻而飛    訓蜻蛉云阿岐豆。

 即ちアキヅノに行きて、御獦の時
 天皇御吳床に坐す、ここに御腕に虻咋つ
 即〔ハヤ〕蜻蛉〔アキヅ〕来て、その虻咋いて飛びつ
           蜻蛉の訓みをアキヅと云う。

 

 於是作御歌
 其歌曰
 美延斯怒能 袁牟漏賀多氣爾
 志斯布須登 多禮曾
 意富麻幣爾 麻袁須

 ここに 御歌作る
 其の歌、曰〔まをし〕つらく
 みえしのの をむろ嶽〔ガタケ〕に
 シシふすと 誰〔タレ〕そ
 おほまへに まをす
  〈一部、省略〉

 

 故自其時
 號其野謂 阿岐豆野

 故に其の時より
 其の野を號〔ナヅケ〕て謂う、アキヅノ也。

 

◇ここに大きな疑問を持たない訳にはいかない。この歌はアキツの音をテーマにしています。アキヅノ(阿岐豆野)、アキヅ(蜻蛉)、アム・クィツ(虻・咋いつ)などを並べます。

にも関わらず、なぜ詞書は美延斯怒〔ミエシノ〕なのか。

始まりの音はアキツノだったのが、
アキツノ→ 御吉野 →美延斯怒〔ミエシノ〕 
と、“ 伝言ゲーム” のように移ったのではないだろうか。

A部族(先住者)はアキツの音に御吉野の字を充てたが、この表記をB部族(侵入者)はミエシノと読み、さらにその音を假名で美延斯怒と書いた。

御獦や御腕に「御」の字を使っており、紛らわしさを嫌い、御吉野という表記を避けて假名書きしたのか。

または、単にB部族(侵入者)の無知による誤りか。或いは、分かった上で敢えて意図的に自分達の言葉にしたか。

 

 

◇「御」の用途 ━━━━━━

記紀に於けるの扱いは、次のような音と意味を以って使われていた、という思いを持ちます。
(1・発音。2・意味。3・例。)

  • 1・「クィ)」「ムィ)」
    2・(者)の上級文字。
    3・天津アキツアキツ〕。建津御〔タケツ、(タケツ〕。
  • 1・「ムィ)」
    2・身体を指す語。
    3・合〔あわせ〕、交合の意。
  • 1・「
    2・自身を指す語。
    3・身〔ガミ、またガミ〕、御=吾、我。
  • 1・「アムアンアハ
    2・の意。接頭語。
    3・吉野〔キツノ、アムキツノ〕。
  • 1・「
    2・敬称の接頭辞。
    3・名〔ミナ〕。世〔ミヨ〕。

 

*大きく分けて、
 ①「自身」と「身体」の意。→ また
 ②「大きい」や「優れたモノ」の意。→ 
 ③「誉める」接頭辞。→ 
一般的にはこの様な用い方であり、むしろ敬称の接頭辞である③の「ミ」が特殊であるとさえ感じます。

しかしながら、記紀に於けるの扱いについて今では③の意味だけが正しい用法と解釈されています。①と②の形で使われていた事を考える事すら有りません。

の字について今一度、もう少し真剣に考えてみる必要があるように思います。

 

▽ちなみに
ある日、《古事記伝》(本居宣長著)を読んでいて、次のような短い文章が目にとまりました。
小文字で書かれていたので、後からの加筆と思われます。

「御を身の意ぞなど云説は非なり」

…驚いた。
これは宣長の時代にあって“御は身ではないか”と考える人が居たということです。

だけど、大権威(宣長)によって、はかなくも瞬時に却下されてしまったようです。宣長の門人達からも嘲笑の視線を向けられたかも知れません。

 

上代に於ける漢字の使われ方の一つとして、確かに「御は身」の意でも使う部族があった。
そう考える人間が、少なくとも二人(筆者と某の人)が存在します。