天孫降臨

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【 解説・8 】
《前段二/ⅴ》(11、12、13/16行)

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○(人々を集め)天の安河で、葦原の瑞穂国を平定するのに誰を派遣すれば良いかを共に相談させた。(派遣された建御雷神は)小浜で大国主に対し領地の放棄を要求し、それを受け入れさせた。
是を以って、番邇邇芸命が初めて高千穂の嶺に降り立つ。

]=与。ト。~と。共に。組みする。(棚字)◇この與を、一行前の下句の末字(與また歟)とし、「…以萬神蕃息與」の形で置かれる字(文末助字)という扱いで、一般的には“解決済み”となっています。再考が必要では?

議安河而]◯議・而/ハカリ・テ。相談。話し合って。◯安河/ヤスカワ。(ワの音はファ)◇安河とは何か? ヤスは、ィアツ→ヤスと転じた音であり原音はアツ。アツには大や広の意があり、アツ・カワ(大川)、またはアツ・カ(広場、広い処)といった意味が想定されます。

平天下]◯/タイラ。安定。平定。◯天下/アメノモト。クニ。広義には世界。大王が治める領地、領域。または社会、世の中。

◇天を空と捉えると下はシタと読めばいいですが、ここでの天の字を王の意とする場合、下はシタよりもモトと読むのが適当だろうと考えます。

◇天照が「葦原の瑞穂国は我が御子・忍穂耳の知らしめる国ぞ」と言い出し、ついては誰を派遣するか、皆を集めて思金神の下〔モト〕相談させます。

この後、天菩比神を遣ったが失敗。次に天若日子を遣ったがこれも成らず。三人目、建御雷神を遣って成功し、出雲を新たな領地として平定しました。

論小濱而]◯論・而/アゲツラヒ・テ。◯小濱/伊那佐の小濱(所の名)

◇小濱とは或る場所の呼び名ですが、大国主親子が降伏した後「出雲之多芸志之小濱 造天之御舎而」という記述もあります。濱の字は水辺の地(渚)を表わしますが、そんな所に舎(住居)は建てないでしょう。オハマという場所があり、この音に単なる充て字として小濱の字を使っているのではないでしょうか。

淸國土]◯/スガシ。心が晴々すること。◇スガシという語は、須佐之男がヲロチ退治の後に云った「我御心 須賀須賀斯〔スガスガシ〕」という台詞があり、これも戦いに勝った直後です。スガシとは勝利の時に使う定番の言葉だったようです。

國土/カツマ・ツチ。カシマチ。カシマの地。
◇或る分野の社会では勢力下に置く土地の範囲(テリトリー)をシマと呼びますね。これは一つの地域をいい、水に囲まれた陸地のシマとは違います。

本来の音はカツマでありカツマ・ツチ(カシマ・の地)、またカシマ・チといいます。カツマ(カシマ)に国の字を、ツチに土の字を充て国土と書きます。従って、この表字を漢音でコクドなどと読んではいけない。

◇この行(論小濱而 淸國土)は大国主が国譲りをする話です。天津国から派遣された建御雷神が大国主に対し降伏を迫るこの談判シーンは、神話らしく演出された解釈がなされます。(※「此二神」とは、建御雷神と補佐の天鳥船神)

是以 此二神 降到出雲國
   伊那佐之小濱 而拔十掬劒
   逆刺立于浪穗 趺坐其劒前

○建御雷神は出雲国に降り到る。(大国主と)伊那佐の小濱で向かい合い、十掬剣を抜き、浪穂に剣先を上に向け刺し立て、その剣の先端に空中浮遊する状態で胡座〔アグラ〕を組み「汝心奈何」〈汝の心は如何に〉と詰め寄る。

実際は、要求する側が趺(あぐら=足を組んで坐る)、または踞(さがみ=片足を立膝にして坐る)の姿勢で、自分の前に刃先を上にして剣を立てるという形で行われたのでしょう。銅剣は物によって束尻が広くなってるものがあり、割と立て易かったのではないでしょうか。

交渉事をする場合は自分と相手の間に何らかのモノを置き、それを挟んで行うのが常だったようです。これをヘツ・アタリ(置つ・中り)→ヘタタリ(隔たり)といいます。

尤も、ここでは勝敗に関して既に決着しており、優位者が自分の前に剣を立てるのは『要求を呑まなければこれで斬る』という圧倒的優位性と威嚇を示す作法ではないかと思います。

この対峙は交渉というものではなく、敗者自身に支配権放棄を認めさせる最終儀式の様なものであったと考えられらます。

 

是以]コレ・モチテ。これをもって。(棚字)

番仁岐命]ホノ・ニニキのミコト。天照大御神の孫。正式名称は、天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命だが、この二十字を四字に圧縮して表記する。

◇画面構成上ここは上句四字にしなければなりません。序の作者はこの二十文字を前に、腕組みして考え込んだことでしょう。そして、抓み出した音が、ホ・ニ・ギ(番仁藝)でした。

当初は忍穂耳(天照の子、邇邇芸の父)が出陣する予定だったのですが、急遽息子(次男)の邇邇芸に任せようという事になりました。

初降于高千嶺]◯初降/初めてオリる。初の字は王の歳若い孫にとっての初陣という意味か。(降をモリと発音するのは、天降り=アマ・オリが縮んでアモリとなった場合)◯于高千/高千穂に。于の字は「~に」の意を表わす助字。◯/タケ。岳。勾配が急な盛り上がった地形をカタケといい、略してタケ。

◇本文には「高千穂之久士布流多気」とあります。これを短縮して「高千・多気」となって、タケに嶺の字を充てている。クシフルタケとは、キツ・カタケ→クシ・クラタケ(美しい山)の意。「高千穂の近くにある美しい岳に降り立った」という意味になります。

邇邇芸命天照大御神の孫です。大国主須佐之男命の孫(萬神蕃息の項「解説7」で説明)です。天孫降臨とは、天照と須佐之男それぞれの孫の代での争いということです。

結果は天照の孫が勝利した。いや、勝った方が天照の子孫(正統な王家)を名告る権利を得た、というのが正確なところです。

天照大御神とは個の名ではなく、太陽神を祖とする「頂点に居る者」を指す名称であり、唯一無二の存在なのです。

王者が勝利したのでは有りません。最終的に勝った者が、王者という席を得るのです。そして、天照大御神の子孫を名告ります。

▽ちなみに。建御雷神は出雲国(山陰の地)を平定したのではなかったのか。それを受けて最高司令官として邇邇芸命が天降りした所が笠沙之御前(鹿児島の西海岸と言われる)とはどういう事か。

天孫降臨は全くの創作神話ではなく、事実も大いに含まれているに違いありません。ただ、此処にあるストーリー自体は、複数の部族が語り継いで来た別々の伝承話を無理矢理繋ぎ合わせたもの、という感は否めません。

《ヲグナ》