幷序

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【 解説・1 】

 

  古事記 上卷 幷序

 古事記〔コジキ〕 上〔カミ〕つ卷〔マキ〕
 序〔ハシガキ〕を幷〔アハセ〕つ。

古事記。上巻に序文を併載する。

 

古事記]コジキ。和銅五年(七一二)一月に献上された国史。三巻からなる。編者は太安萬侶。

 

◇コジキという音に古事記の文字(意味を伴わせた表音文字=仮名)を充ており、古事記の音読みがコジキではないと考えます。因ってフルゴトブミという読みもここでは採用しません。

舊辞はフルゴトですが、だからと云って古事もフルゴトでしょうか。そもそも舊辞(旧言=言い伝え)と古事(昔の出来事)は意味が違います。

 

国史作りのために集められた資料には紙一枚の物から、巻軸になってる物もあったに違いありません。これらもまた間違いなく書物です。

それらを基に編纂して新たな国史を作った訳ですから、古事記とは出所と内容が示された「“現存する”日本最古の書物」というのが正確な表現でしょう。


上巻]カミ・ツ・マキ。古事記三巻の第一巻。

◇「上巻」という表記の読み方は、二字の間にツを入れてカミツマキです。天神は天ツ神、近淡海は近ツ淡海、また天宇受女は天ノ宇受女、天手力男は天ノ手力男などのように、表記はされませんが発声時にはツやノを入れるというのが一般的でした。省き字。


幷序/アハセ。アセ。合わせて。並べる。付属したもの。添える。~に付けて。~と共に。ここでは上巻(書目)に併載の意味になる。/ハシガキ。順序。あらかじめ定められた順番。先に置かれるもの。「序文」は本編に入る前に置いた始めの書き物をいう。


◇物事は、始 ~ 途 ~ 終、の形で出来ています。これを太古の人は、カツメ・クツメ・ケツメ、の音で表していたようです。これが後に、ハツメ・フツメ・ヘツメ、またはハシメ・フシメ・ケシメ、と転じていきます。(「メ」とは、潮目、変り目などのメで、状況の転換ポイントの意)

*ハシメには元、始、また首、祖、などの文字がその状況によつて使い分けられる。初や発の漢音のハツは、何処かでハツメのハツと繋がっているに違いありません。

*フシメには節または節目の字を充てます。その折々、区切りになる途中の通過点を指します。季のフシメは季節(季・フシメ)であり、節会はフシメの会、節分はフシメ分け。それぞれの物日(モンビ/フシメの日)を表わす言葉だというのが分かります。

人体、植物、詩歌文章などに使う節の字は漢音でセツと読むより、日本語でフシと発するのが理に叶う気がします。

*ケツメには結または結目の字を充てます。ずっと後代、この結の字を訓読みにして「むすび」といい、最後、終わり、の意味で使うようになる。また、ケシメの音がテジメに転じ「手締め」という風習が生まれる。ケツ(尻)はケツメ、シメ(〆、閉め)はケシメ、「締め括り」はケシメ・ククリからの語であろうし、「ケジメを着ける」(終わりを明確にする)などの表現にもなります。

序の字はアラ・カヅメ(予め=事前に)と読めなくもないですが、ここではハシメ・カキが縮んだハシ・ガキの音を採る事とします。


◇「幷序」は、文選などによく見かける文言であり、そこでは「幷びに序」〔ナラびにジョ〕と読み下しており、本文(辞や詩)を表わすに至った趣旨を併せ載せることをいいます。これらに見る序とは和歌に於ける詞書に似てます。現に万葉集にも幷序の文字が使われている歌が幾つもあり、歌に至る経緯や詠んだ趣意が綴られています。

詞書があくまで短い状況説明文であるのに対し、幷序になると事情説明であり本編に至る動機や想い、出来事や顛末などを連ね、長短はありますが長いものだとそれだけで一つの書き物になる、というような多少の違いはあるようです。
だがしかし序や詞書とは、有り体に云えば前書きですね。すると幷序とは「本編、前書き付き」という意味合いでしょうか。

ただ、此処(記)にある幷序の場合、そもそもどの範囲を序と呼んでいるのか、という事から見ていかねばなりません。ここに二つの形が有ります。(①は通説。②は本稿説。)

①「臣安萬侶言」(書き出しの行)から「署名」(最終行)まで文章群の全て。

②「混元既凝 氣象未效」(前段一・一行目)から「如此之類 隨本不改」(後段五・末行)まで。

一般的には①を序としていますが、②の構成を見る時、書目を含めるのは如何〔いかが〕なものかと思われます。また、序に署名があるのも不自然であり、署名は書目に置かれていると見るのが相応でしょう。よって、①(文章の全て)を序とすべきでは無いと考えます。

書目はもともと記・上巻に添付されていた。その前のスペースに、次第を示す文章や天子に申し上げる言葉などの書き物(序)を置いたのです。つまり「上巻に添えた書目、これに序を併載(アハセ)する」という事になります。そして、この文書は序であって上表文ではないでしょう。


▽ちなみに。
万葉集に使われている幷序の一例に次のような文章があります。新元号で一躍有名になった文です。これに続いて三十二首の歌が綴られる。
書籍などにある詰め書きされたものを飾り書きにすると、また雰囲気が変わってきます。おそらく、これが元の姿だったと思われます。否、思わざるを得ないです。(ここでは歌は省略する)

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※「篇を落す」=何らかの主張を匿名で書いて、路上などに落としておくことを、落〔おと〕し書き、また落し文といいます。ここではもちろん記名をした上で「梅をお題にして短歌を詠み、いたずら書きのように篇翰(詩文)をしたため、暫し楽しい時間を過ごそう」と言っている。


◇新元号「令和」は、初めて国文学の典籍からの出処となりました。出典は万葉集ですが、歌ではなく序文に使われる文言からであり、これが漢文で書かれているとし「これもまた漢籍の影響下にあり国文とは云えない」とする人がいます。

写本に載っているのは一見漢文の形式の様です。しかし飾り書きにしてみると、日本独特の形態が出来上がっているのを見る事ができるでしょう。日本人の中で既に消化確立された極めて日本語的な文章と云えます。

一般的には、詰め書きされた「純漢文」で作られていることを前提とした読み下しが為されています。でも、ここでは其れらと少々異なる解釈の読み方になる個所が多くなります。

天平二年(730年)は古事記が献上されてから僅か十八年後であり、飾り書きは文化人や風流人の間で、まだ息づいていた(最期の)時代だった、ということでしょう。

 

幷序について考えてみました。本日はここまで。

有り難う御座いました。    ・をぐな・