《古事記》の「序」について。
便宜上、横書きにしていますが、頭の中で縦書きに変換してご覧ください。幾つもの個所で漢字の役割や扱いが定説とされるものとは違ってる、などをはじめ色々と面白い事実が多々見えてきます。
尚、この序は概ね日本古典文学大系を基にしています。(左端にあるドット「・」は空き行を示す。)
◇「画面作り」
ここに示しました序は文字を、加えたり、削ったり、入れ替えり、といったことは一切行なっておらず、原文の順番通りに並んでいます。ただ、改行を細かくする、空き行・空き升を作る、棚の位置に文字を置く、といった事を行なっているのみです。
この様な書き方を、ここでは仮に「飾り書き」と呼んでおきます。
例えば、
「各異」(前段三)は熟字ではなく、それぞれ別の語句に含まれる文字であり、各と異は分けなくてはいけない。
「勅語」(後段二)は二文字でミコトノリではなく、勅の一文字でミコトノリと読む。
これらは飾り書きにして初めて分かる事です。
◇「飾り書き」について
漢文は文字が「詰め書き」されています。漢詩は「並び書き」が為され、且つ上句下句に分けられますが、それぞれの語句は四言、五言、七言など、文字数が揃えられた定型となっています。
漢字に接し始めた頃の日本人が見たものは、そんな文字群であったでしょう。そして、暫くはこれら詰め書き形や漢詩形の習得に努めたのかも知れません。ところが、彼らは此れだけに留まらなかったようです。
漢字移入からそれほど時を経ずして、文字表現スタイルを自分達仕様に改造し始めます。それは、一つの文字群を一つの造形物と捉らえて、全体の画面構成を企画する、というものでした。そして、此れらの文章は紛れもなく日本語として書かれているのです。
日本語を書くのだから日本語で書こう。いたって自然な発想へ向かうのに時間はかからなかったでしょう。ただ、漢文に馴染んでいたのも事実でして、文面は場所によって二字熟語が散りばめられていたり、文字の並びを置き変えたりといった多少の加工を施しています。
しかし、これは漢語の、色合い・風味づけ、をするための遊び心による技法なのであって、漢文で書こうとしている訳では有りません。
重要なのは画面構成であり、それを行う上での装飾細工の一環に過ぎないのです。単に「記録としての文書」という感覚しか無かった世界の中にあって、視覚的要素を持たせた表現形態である飾り書きは、もはや“発明”といえます。
日本人の美的造形の感覚と工夫改善の精神は、上代にあって既に備わっていたという事でしょう。
古代大和人にとって、序の書き様は何ら特殊なものではなく、むしろ当時としては先人から伝わる通常のスタイルを採用したに過ぎません。
六~七世紀の頃には完成の域に至っており、広く普及していたと思われる飾り書きですが、何故か八世紀の途中から衰退の一途を辿りはじめます。
奈良時代の末期にはすっかり見掛けなくなり、いつしか消え失せ、今ではそんな書き様があったことすら、誰も知らない事態になってしまいました。
この趣向を凝らした飾り書きは、書写の段階で詰め書きされてしまいます。そして、この詰め書き文に対し、現代の人は変体漢文などという奇妙な名を付けて呼んでいます。
「古代の人は漢文の素養が浅く、正しい漢文が書けなかったのだろう。雰囲気だけ似せて適当に文字を並べ替えて書いていた結果、漢文のようなもの、が作られたに過ぎない。」という事でしょうか。
もし、こんな発想によるものだとしたら、変体漢文という呼称自体が古代大和の知識人に対する酷い侮辱ですね。
◇「序」の風貌
今に残る古事記は全て書写されたものです。原書から直接書写されたものって有るのでしょうか。有るかも知れないけれど、おそらくは書写リレーの何人目かの手によるものが殆どではないでしょうか。そして、その全てが早い段階で既に詰め書きされた文字群に変わっていたのでしょう。
書写とは当然ながら人が一字一字筆を運んで写してゆきます。そうすると、どれほど注意深く作業を進めても、誰であれ誤字脱字の危うさは避けられない。
誤字はともかく脱漏の危険を考えると、今に伝わる文面の文字だけを拠り所に字列を揃えようなどは、バカげた行為以外の何ものでもありません。
だけと、そうは云っても序に関してはここに示した形を見る限り、大方は揃っているのではないでしょうか。書写する人にとっても序は書き始めであり、集中力や根気といったものも十分あり、睡魔の訪れにはまだ間があったと思われます。
文字の欠落を感じさせる個所も無くはないですが、全体として重大な影響を及ぼす程のものではないようです。また、破損や散逸による行単位の消失の可能性も否定はできませんが、全体の構成を見る限りそれも考えづらい。
千三百年余り前に太安萬侶という人が作った序は、いま(現代)私たちが知っている、冊子に詰め書きされた文字列ではなく、いま(現時)目の前に在る巻軸物仕様の “美しい序” であったとみていいでしょう。
▽ちなみに「序は偽書」について。
古事記本文はともかく、序は後の時代に書かれたもの、つまり偽書という説があります。色々の解釈や様々な主張があるのは、とても良い事だと思います。
偽書説の中でよく見るのが、平安初期にいた多人長(安萬侶の子孫)という人が家の権威を高めるため、先祖の安萬侶の名を騙って書いた、という説です。これが事実だとすれば、人長は飾り書きを知っていたことになります。そう、知っていなければ書けません。
可能性はゼロでは有りませんが、一般的には既に消滅していたと思われます。これはどういう事なのでしょう。古い書物にある飾り書きを見付け出し、これを参考にしながら頑張って作ったのでしょうか。
そんなに頑張ったのなら古さを強調する為、飾り書きの姿をそのまま残す事に、もう少し執着して手立てを打っても良かったのではないか。
疑問が横たわります。
長々と書いてしまいましたが、最後までお付き合い頂き、有り難う御座いました。