やつこ

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【 解説・2】

  臣安萬侶言

 臣〔やつこ〕 安萬侶〔やすまろ〕 言〔まをす〕

○下僕であります私(ヤツコ)、安萬侶〔やすまろ〕が、謹みて言(申)し上げます。

 

]①オミ。仕える者。②ヤツコ。自身をいう謙譲語。

 

◇「オミ」という語。
 人を表わす言葉の一つにミ(身)という音があります。ミに余る、ミに覚え、ミから出た錆、ミのほど知らず、などのミであり、身の字を充てはするが肉体をいうのではなく、その人自身を指す言葉です。

古事記》では、この語に身のほか美見御などの字を充てています。ただ、それぞれの発音は僅かに異なります。

一音の単語をそのまま使う場合、一拍音(四分音符の長さ)で発音され「ミィ」と伸びる。
また「*ンミ」「ムイ」の発音にもなります。

目下の者を表わすミには「ンミ」が使われ、のちにンは母音(ここではオ)に転じ、ンミ→オミ(臣)という語になる。これにより元は一音語(ンミ)だったものから、はっきりとした二音の語(オミ)になって定着します。

基音を発声する直前から声を出し始めることにより、語頭に付属音が付く発声法。これを仮に『予唸音〔ヨテンオン〕』と呼んでおきます。ここでは撥音「ン」が付きますが、他に「イ」「ウ」などにもなります。

 

◇「アツキ」という語。
 一人称の語。太古から使われる自身を指す単語をアツキと云ったようです。これがアチキ、アタシ、アツシ、アタイ、アテ、などの音に変化して使われます。

また、予唸音(ここではウ)が付き「ゥアツキ」という音にもなりますが、ウとアが拗合してワ(ゥア)の音になりワツキ、転じてワタシ、ワタイ、ワシ、ワテ、といった音になります。

その他、第一音のみに省略されて、ア(吾)や、ワ(我)と発音するのは、《記》の中によく見る自称の表現音です。

現代人が日常的に使っているアタシやワタシという語は、遡音すればアツキに行き着く案外古い言葉だというのが分かります。

 

◇「ヤツコ」という語。
 ヤツコはアツキの転化音で、謙った自称語であると同時に他人に対しては下の者に使い、時には侮蔑的な意味で用います。

予唸音はイも使われて「ィアツキ」という音形になります。このときイとアが拗合してヤ(ィア)の音になる。さらに、キがコに転じることで、ィアツキ→ヤツコ(奴)という言葉が出来上がります。

また、イアツキのアがイに引きずられてヤになり、イアツキ→イヤツキ(卑しき)という言葉にもなります。

人の意を持つアツキとは全く別の語で、悪いものをアツキといい、これがアシキ(悪しき)と発音される。アイヌ語でアトゥイ(atui)は「汚い」の意がありますが、これもまたアツキが原音である可能性が極めて高いでしょう。どちらかの言葉が伝わったというよりも、元の単語が同じだったに違いない、と感じます。

 アツキ(私)→アシキ(悪しき)
  ↓        ↑↓
 ィアッコ(奴)→イヤシキ(卑しき)

アツキ(私)とアシキ(悪しき)、ィアツコ(奴)とイヤツキ(卑しき)、これらが音合いすることでヤツコもまた自身を指す謙った一人称となります。

ここでの臣の字義は家来(君主に仕える者)ですが、読みはヤツコであり、同時に“私”の意も含みます。

安萬侶]太〔おお〕ノ、ヤスマロ。古事記の編纂者。[]マヲス。曰白といった字も使う。後にはモウス(モウシ)の音に転じて、用字も申の一字に統一される。
*「安萬侶・言」が名告りであるなら、ここは「安萬侶申す者です」とも、「安萬侶申し上げます」とも受け取れます。

 


◇「コエ(声)」という語。
 始まりの音はキです。キは拗音キァ、キゥ、キォ(キャ、キュ、キョ)、またクィ、クェ、クォなどにも転じて使われます。この時点では拗音として一音の語です。これが時の経過と共に尾母音が強まって独立音扱いとなり、クィ→クェ→コエ(声)と移る。元来一音語だったものが、ここに二音語となって流通していきます。

コエという語は単に動物が発する声音を指すだけの言葉です。意味を持った声音はキツといい、これがキツ→コトと転じますが、言葉を発する行為はキツがクィツ、さらに転じてクオツやウオス(ヲス)などの音になります。

「話をする」は、キツの頭にマツが乗りマツ・キツという形になります。これがマツ・クィツ→マ・クォツ→マウォスと転じてマヲスになります。これは「意味を持った声音」を述べる行為をいいます。

マツ・キツがマツ・クォツ→マツコト(まこと)の音になれば「真言・真実」を表す言葉になります。

キ→キゥ→イゥ→イウ(云う、言う)
キツ→クィツ→クオツ→コト(言)
キツ・カ→クオツカ→コツハ→コトバ(言葉)
マツ・キツ→マツクオツ→マコト(真言、信)
マツ・クオツ→マツウオス→マヲス(言、白、曰)


◇「臣・某・言」
 このパターンは時々見かける形ですが、当時の文章表記として、言・某は「某に言う」、某・言は「某が言う」を表わす書き方であったようです。

これに照らして「臣・安萬侶・言」を現代語で言えば、「卑しい私・安萬侶が・(謹んで)申し上げます」という開口の表記となります。

 

○《記》序の「名告り〔ナ・ノリ〕」について考えてみました。本日はここまで。有り難う御座いました。