「書目」

f:id:woguna:20220214195915j:image【 解説・24 】

◇「書目と署名
書目は記本文(上巻)に添えられているものです。目次として上巻、中巻、下巻に記載される御世の範囲を示します。

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○凡そ書き録〔シル〕すところは、天地開闢から初めて小治田の御世で訖〔オ〕わる。
○ここに、天御中主神より以下、日子波限建鵜草葺不合尊より以前を、上卷とする。
○神倭伊波禮毘古天皇より以下、品陀御世より以前を、中卷とする。
○大雀皇帝より以下、小治田大宮より以前を、下卷とする。

○三卷を併録し、
 謹〔ツツシ〕んで獻上いたします。臣安萬侶
 誠惶誠恐〔セイコウ・セイキョウ〕頓首頓首〔トンシュ・トンシュ〕

和銅五年正月廿八日
 正五位上勳五等太朝臣安萬侶。

 

天御中主神古事記に登場する最初の神の名。空海の神。宇宙神。一般的に「天〔アメ〕ノ・御中主〔ミナカヌシ〕ノ・神」と読まれている。

◇世が未だ一つの空間だった頃、これを司る神をアキツミ・カツキといい、この音に天ツ御〔アキツミ〕中主〔ヌカツキ〕の字を充てました。天地が分離した後、天(空)をアキ、地(海)をアカと呼びます。

アキツミの系統が天照大御神アカツキ須佐之男です。よって、この二神が姉弟(兄弟?)の設定となります。

日子波限建鵜草葺不合尊]天津日高日子波限建鵜草葺不合尊。父・火遠理命(山佐知)、母・豊玉毘賣。「建・鵜草〔タケ・ウガヤ〕葺不合〔フキアエズ〕」の読み方が常識となっている。◇産屋が出来上がらないうちに、生まれてしまったところから、この名が付いたと云われています。

神倭伊波禮毘古天皇神武天皇(初代)。序文の前段・二にある神倭天皇。◇イファレビコとは古和語で武人の意味を持ちます。

品陀品陀和気命応神天皇(十五代)。母は息長帯比賣命(神功皇后)。

大雀皇帝]大雀命。仁徳天皇(十六代)。履中・反正・允恭、各天皇の父。

小治田大宮]豊御食炊屋比賣命(推古天皇・三三代)の御世。欽明(二九代)の皇女で敏達(三〇代)の后。敏達と推古は異母兄妹。◇名は「豊〔トヨ〕御食〔ミケ〕炊・屋〔カシキ・ヤ〕比賣〔ヒメ〕」と読むらしい。

 

朝臣安萬侶]◯太/オオ。またオホ。「多」の字も使われる。氏〔ウヂ〕の名。◯朝臣/アソミ。姓〔カバネ〕の名。◯安萬侶/ヤスマロ。またアマロ。身の名。

古事記・書目」…了。

付記・2

【 解説・23 】
《後段・五/ⅱ》(6〜10/10)

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○即ち、言葉の意味がよく分からない語は、注釈を入れて説明をしておく。語意が容易に理解できるものは、殊更に取り立てて説明はしない。

また、姓〔カバネ〕などにある「日下」をクサカといい、名前に使われる「帯」の字をタラシという。この様な既に定着している因習的表記の類は資料本(巻物など)のまま使い、敢えて別の文字による訓書きや音書きに替えたりはしない。

 

]スナワチ。(棚字)[辭理叵見]◯辭/辭=辞。コト。言葉。◯理/コトワリ。意味。◯叵見/叵=難。ミエ・ カタキ。はっきりしない。よく分からない。[以注明]◯以/モチテ。◯注/シメシ。注釈。◯明/アキラカ。はっきり。説明。

意況易解]◯意況/ココロ・イワレ。言葉の意や文の内容、また意図するところ。◯易/ヤスキ。容易。◯解/トキ。分かる。理解。[更非注]◯更/サラに。あらためて。◯非注/シメサズ。説明はしない。

◇二行(6、7)を一対として、辞と意、理と況、叵と易、見と解、などの(同義反義)文字を隣り合わせに並べ、ここでも視覚遊びをしている。
一部の解説書に見かける「以注明意」〈注を以って意を明らかに〉の解釈は当たらないのが分かる。

 

 

]マタ。或いは。その他に。(棚字)
◇マタには亦と又があり、亦名、又娶、といった使い方をします。

  • 「亦」は、⑴ 或はまた。同時・並列。⑵ 再度。繰り返し。
  • 「又」は、更にまた。順次・直列。

亦娶などと書くのも見掛けますが、これは同時に複数の妻を娶った場合の表記であり、概ね用法は定まっています。

◇後段の棚字は全て意味を伴って置かれており、前段との違いは明瞭ですね。

於姓日下]◯於姓/カバネの。カバネにオケル。◯日下/クサカ。生駒山の西側山裾、中河内の地。[謂玖沙訶]◯謂/イイ。言う。◯玖沙訶/クサカ。音書き。真仮名表記。※クサの元の音はキツ。

◇クサカの音は、クサ・カムラ(村)、クサ・カヤマ(山)などから始まり、ここから村はムラ、山はヤマの音のみになります。

その結果、これらの音(ムラやヤマ)を切り離した「クサ・カ」が、後に地域名となります。さらにその地名から姓〔カバネ〕の名や氏〔ウヂ〕の名として用いられるようになっていきます。

▽ちなみに。日下や草迦が湯桶読み(くさ・カ)になっているのは、カの音を持つ文字(下、迦)を後から差し込んだ事によるものです。明日香村〔あす・カむら〕の香の字も同様です。

於名帶字]◯於名/ナの。ナにオケル。◯帶字/タラシのジ(ヂ)。[謂多羅斯]◯謂/イイ。◯多羅斯/タラシの真仮名。◇タラシの音には足の字もよく使われます。ツツキ(王が住まいする地)からの転音か。

◇帯〔おび〕を前で結んで、余ったのをそのまま下ろす「垂らしの帯」から、帯をタラシと云うようになったのでしょう。(京の舞妓は後ろで結んだダラリの帯。タラシとダラリは転化の違いであって元の音は同じである)

如此之類]◯如/ゴトキ。◯此/コノ。◯之類/コレ・タグイ。「此の類」とは因習表記としての充て字類をいう。

隨本不改]◯隨/マニマニ。そのまま。従来通り。◯本/マキ(巻物)。資料本。本の字をモトと読む場合、何を指してモトというのが見えない。◯不改/アラタメズ。変えない。

◇文字と読みの音とが直接の繋がりは無くとも、或いは今の読みには無い音であっても、その資料に有る文字のまま用いることとし改めない。

また、神名人名に関しても古くから表記文字として使われ定着している場合、勝手に変えたりせずそのまま使う。ここが、書紀との基本姿勢の違いです。

《後段・五/ⅱ》(6〜10/10)完。

 

◇《記・序》終了。「古事記 上卷 幷序」の表題後、臣安萬侶言で始まりました名目の「序」は、この範囲(後段五)までです。次にある書目及び署名は、上巻の附録であり「序」には含まれません。

 

付記・1

【 解説・22 】
《後段・五/ⅰ》(1~5/10)

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○漢字を表意文字として使った場合、意味は伝わっても言葉として心に届きにくい。といって日本語の音を優先し、文字を全て仮名書きにしたのでは、徒〔イタズ〕らに文章が長くなるばかりである。

それで今、或るは一つの句の中で音と訓を混ぜて用いたり、或るは一事の内すべて訓で記すなど、それぞれの状況や内容に依って対応する。


已因訓述者]◯已/スデニ。ことごとく。◯因訓/漢字の意味を採用する。◯述者/ツヅリ・ナバ。記述すれば。[詞不逮心]◯詞/コト。言葉。文面。「詞〔こと〕バ」のバは助詞であり、言葉〔ことば〕の「ば」ではない。◯不逮/トドカズ。トドキ・エズ。届かず。及ばす。至らず。◯心/ココロ。真意。細かい意味。微妙なニュアンス。

◇漢字を表意文字として使う場合、内容は分かっても言葉の持つ繊細な感覚は伝わりにくいです。特に歌などは言い回しやテンポ(拍子)が重要なのであり、音を五・七で並べたり、韻を踏んだり、といった妙味は表せません。

全以音連者]◯全/マタク。みな。すべて。◯以音/オト・モチテ。漢字を仮名(音節)として使う。◯連者/(カキ)ツラネ・レバ。書き連ね。[事趣更長]◯事趣/コトの・オモムキ。内容(表現物)を綴った紙面の姿。◯更長/サラに・ナガキ。ことさらに。文字数がやたら多くなる。

◇ここにある因訓(訓に因り)とは漢字を表意文字として使う「訓書き」をいい、以音(音を以って)は漢字を表音文字=仮名として扱う「音書き」をいいます。

訓読み・音読み、とは漢字を、日本語で読むか、漢音で読むか、であり文字(漢字)が主体です。対して、古代では日本語を文字にする時、表意・表音、どちらの用法で表わすか、という日本語(やまと言葉)主体の視点に立った扱い方であったようです。

例えば、山の訓読みは「やま」、音読みは「サン」。ヤマの音書きは「夜麻」、訓書きは「山」となります。これが因訓・以音(訓書き・音書き)という少し紛らわしい表現になってしまいますが、理解しておかないと混乱します。

「因訓」は訓読みでは有りません。「以音」は音読みでは有りません。

是以今]コレ・モチテ・イマ。◇三文字からなる一行。並び書きや飾り書きをする場合、一行に三文字だけを置くというやり方です。《記》では本文に於いても、よく見る形です。

或一句之中]◯或/アルものは。アルは。◯一句/上句や下句。一行の内に作る複数の文字の集まり。◯之中/コレのナカ。句(限られた文字数)を構成する上で。[交用音訓]◯交用/マヂエてモチイる。混淆。音書きと訓書きを混ぜる。◇交は通常マジエと読みますが当時は部族によって、マヂェ(マデ)とマジェ(マゼ)の二通りが有ったようです。◯音訓/音書きと訓書き。

或一事之內]◯或一事/ある、一つの事柄(一行、一節)を揃える文字。◯之內/コレのウチ。言葉を書く複数の文字の内。[全以訓錄]◯全以/マタク・モチテ。まったくもって。すべてにおいて。◯訓錄/ヨミで・シルシ。漢字を訓書き(表意文字)で用いる。

◇字順通り「全〔また〕く以て訓で録す」の読み方で良いと思いますが、普通の現代日本語で書けば「全〔すべ〕て訓を以って録す」となるでしょう。

 

◇「反転表記」
 この「後段五」の先の五行(1〜5)は、中央(3)が短い行になっており、前後の二行ずつ(1.2・4.5)は一行が9文字で、やや長めです。

一方、前に在る「後段四」の場合、先の五行(1〜5)は、中央(3)が長く、その前後の二行(1.2・4.5)は各5文字で、やや短めです。

つまり、後段の四と五は構成上セットになっており、先の五行は反転表記にしています。もちろん意図を持って作られた構図であるのは、疑いようも有りません。始めから詰め書きされたものなら、意味を成さない書き様ですね。

 

《後段・五/ⅰ》(1~5/10)
…つづく。

記献上

【 解説・21 】
《後段・四/ⅱ》(6~9/9)

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○これ、仰せに随〔したが〕い、語臣(阿禮)が繰り述べた噺(旧辞)を奉〔たてまつ〕る。畏〔かしこ〕くも謹〔つつし〕んで御意向のまま、詳細に採り拾いました。

しかし、上古の時、言葉とその意味は押し並べて素朴で、これを敷き連ねて文章にしたり、文字数に制限がある句の形にする時、即座に文字化することは難しい。


]コレ。ここに。(棚字)
勅語舊辭]◯勅/ミコトノリ。天子の御言葉。発令。◯語/カタリ。語臣〔カタリノオミ〕。◯舊辭/フルゴト。またクヂ。
◇ここでの「語」の字については二つの解釈が可能です。⑴「語臣」を指す。⑵ 阿禮が「語った」の意。
ただ、⑵の場合、一つ前の行に「稗田阿禮所誦」と誦〔ノリ〕の字を使っており、ここだけ語旧辞〔カタリシ、フルゴト〕を使うのは考えづらい。よってここでは⑴「語臣の旧辞」を採ります。[以獻上者]◯以/モチテ。◯獻上者/タテマツリ。

謹隨詔旨]◯謹/ツツシミ。またカシコミ。◯隨/マニマニ。まにま。そのまま。沿って。◯詔/ノリタマイシ。オホミコト。仰せになられた。◯旨/ムネ。意向。◇詔旨の二字でオホミコトの読みを充てる解釈もあります。
子細採摭]◯子細/コマカ。詳細。◯採摭/トリ、ヒロイ。採り拾い。取捨選択し正しいものを掲載する。

]シカシ。シ・カ(その・様)→シカ・シ(その様・だが)。基音「カ」の前後に付属音が合わさり構成される語。(棚字)

◇然の字は棚字として、前段二と四、後段二と四、この四カ所に置かれていますが、ここがその四個目です。しかしながら、なぜ同じ文字をこれ程までに使うのでしょうか。意図が有るのか無いのか、未だよく分かりません。シカシテ。シカルニ。シカレド。シカシ。この順に並べています。
上古之時]◯上古/イニシヘ。退世(いにせ)。昔。◯之時/ノ・トキ。その頃。ところで。
言意並朴]◯言意/コト・ココロ。言葉とその意味。◯並/ナメて。ナナ・メリて。おしなべて。総じて。全体的に。◯朴/イスナヲ。キツノキ→イスナヲと転じる。先のキは純朴、後のキはモノ。古語にして、素朴、初期的、などの意味。

敷文構句]◯敷文/アヤにシキ。文字を敷き列べて文章を作る。◯構句/クにカマエ・フル。定めた文字数のひと集まり。一行の内に上句下句の形を作る。
於字卽難]◯於字/モヂにオキ。声音言語を文字化する。◯卽/ニワカ。直〔ただ〕ちに。即座に。◯難/カタキ。カタシ。むずかしい。

◇この二行(8・9)は記の完成が遅れた理由でもあります。昔の言葉の音や意味を文字にして、さらに句や文の体裁にするのは簡単ではなかったことをいい、次の後段五に繋げます。

 

《後段・四/ⅱ》(6~9/9)…了。

記編纂

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【 解説・20 】

《後段・四/ⅰ》(1〜5/9)f:id:woguna:20210910130240j:image

旧辞に多くの誤りが有ることを惜しみ。また先紀の記述に間違いが混ざっているのを訂正する。
ここに、和銅四年九月十八日を以って詔。
安萬侶、選りつつ文字化収録。稗田阿禮、語りし。


於焉]ココニ。「詔」に係る。(棚字)[惜舊辭之]◯惜/オシミ。◯舊辭之/フルコトの。またクヂ。伝承話。旧辞の読みとしてフルゴト(古言)とクヂ(書き物)があるが、ここではフルゴトと読む。[誤忤]タガエ。錯誤。◯誤/アヤマリ。◯忤/タガエ。さからう。

正先紀之]◯正/タダシ。糺。◯先紀/サキツフミ。文字資料。先世(歴代)の帝紀。帝皇日嗣。王家の系図。[謬錯]ミダレ。◯謬/あやまり。◯錯/間違いが混ざる。

◇前段三(記本文に関する記述の末部)では「稽古以繩 風猷於既頽 照今以補 典教於欲絶」といい、また後段一(国史編纂を命ずる理由)では「既違正實 多加虛僞  …  削僞定實 欲流後葉」と書くなど、同じような表現が繰り返し使われます。この事は各段落が別々に書かれたことを窺わせます。

恐らく、国史作りの号令が為される毎に使われる常套句だったのでしょう。

和銅四年九月十八日詔]◯以・詔/モチテ・ミコトノリ。◇詔の字について。日付の末尾にその時の行為を示す文字を置くのは、当時にあって通常の形です。また、以詔の二文字で対象となる語(ここでは日付)を挟む、この用法もよく見ます。

よって、詔の字をこの後に続く安萬侶の頭に置いて「詔臣安萬侶」〈ヤスマロに対してミコトノリ〉という扱い方を、本稿では採りません。

和銅四年/ワドウ・ヨツトシ(七一一年)。和銅は音読み。◯九月/ナガツキ。またココノツキ。◯十八日/トウ・マリ・ヨウカ。原音は、ツツ・アマリ・ヤツカ。

◇数の十は古語でツツといい、ツツ→トト→トオ(トウ)と転じます。端数をアマリ(縮んでマリ)という。八はヤツ(ィアツ)ですが、ヤツ→ヤウ→ヨウと移る。日(day)はカです。故に、八日はヤウカ、またヨウカの音になります。

臣安萬侶]〈名告り〉の項、参照。[撰錄]ヨリ・シルシ。◯撰/ヨリ。選別。◯錄/シルシ。収録。[稗田阿禮]後段二、参照。[所誦]ノリシ。声に出して唱え繰〔く〕りつづる。

◇阿禮の話言葉〔はなし・ことば〕をそのまま音書き(仮名字)にすべきか、訓書き(表意文字)にするのがよいのか、そんな葛藤もあったに違いありません。

※〈音書き〉:漢字を音記号としてのみ使用。
〈訓書き〉:漢音、ヤマト語音、共に意義持ち字。

例えば「汝身者、如何成」や「然善」は訓書き(者の字以外)であり、意味は推し測れますが、どのように読めばよいのか悩ましいです。

一方「阿那邇夜志 愛袁登古袁」は音書きなので、「アナニヤシ、ヱヲトコヲ」とハッキリ読めます。ただ、アナニヤシの意味が分からない。

登場人物のセリフであっても、統一が為されている訳ではなく、その時どきによって変わっています。

いや、安萬侶さんの心情、お察しします。

 

《後段・四/ⅰ》(1〜5/9) ヲグナ。

 

言祝ぎ

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【 解説・19 】

《後段・三》(1~8/8)

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○僭越ながら思いますに、皇帝陛下。
天位を得て普〔あまね〕く其の徳を広め、王座にあって三〔みつ〕に通じ、民を教え導く。紫宸殿(御所)に居まして徳は陸路の僻地まで被い、皇居に坐してその教化は海路の至る果てまで照らされる。

朝日に浮ぶ輝きの重なりは、雲の棚引きやカスミでは無く、立ち昇る瑞光・慶雲である。(田には)枝が連なり稲穂がひしめき、この吉祥を記す記事が絶えない。
烽火〔のろし〕を列ねる遠方から、或いは何人もの通訳を介する遠隔の地からやって来る者達の、献上する貢物を入れる倉が空になる月は無い。

その名声は文命より高く、有徳は天乙に秀でると言える。

 

伏惟]フシて・オモイ。(棚字)◯伏/身を低くする。◯惟/=思。オモンみる。カムガヘリ。◇伏惟は臣の者が上位者に対して自分の考えを述べる時の書き出し文字。

◇後段三を作る八行は、1・2.3.4・5.6.7・8、と分けることができます。1は日本の王、8は大陸に居た名君との誉れ高い王の名を挙げ、日本の王はその名声と徳に於いて、彼らに勝るとも劣らないといい、2.3.4はその勢力範囲を、5.6.7はその富を称賛しています。

皇帝陛下]天子。今上(元明天皇。◇皇帝陛下という表記は唐風であり、後段三が既製の形式文であることを示すものです。

得一光宅]◯得一/一を得る。天位に即〔つ〕く。◯光宅/民を養う。あまねく照らす王の徳。[通三亭育]◯通三/三才(天・地・人)に通じる。王座に就く。◯亭育/民を化育する。

御紫宸而]◯紫宸/紫宸殿。儀式などを行う宮の主殿。天皇の住まい。皇居。◯御・而/居まして。御〔ギョ〕して。天子として執務に就く。[德被馬蹄之所極]◯德/道義の教え。◯被/コウブリ。覆い尽くす。◯馬蹄/ヒヅメ。◯之所極/陸上の全て。陸路の果て。局地。所は戸(ヘ、またヘツナ)。

坐玄扈而]◯玄扈/皇居。紫宸と同じ。◯坐・而/居まして。御・而と同じ。[化照船頭之所逮]◯化/=教化。徳の教え。◯照/テラシ。広く覆い浸透させる。◯船頭/ヘサキ。舳先。舵取人の意ではない。◯之所逮/逮は、及び、とどき。

日浮重暉]◯日浮/朝日と共に浮ぶ(出現する)。◯重暉/輝くものが何重にもなって現れる。瑞光。[雲散非烟]◯雲散/雲のタナビキ。◯非烟/ケブリにアラズ。烟=煙。モヤ、カスミ。

◇この行は慶雲(縁起の良い験〔しるし〕)を具体的に示そうとする文です。《延喜式》に、祥瑞の最高位である大瑞の一つとして「慶雲。状若烟非烟、若雲非雲」とあります。

連柯幷穗]◯連/ツラネ。つらなり。◯柯/スズキ。柯の字義は茎や枝の意を持つが、ここでは稲木をいう。

◇刈り取った稲木を干すために並べ掛けたものもスズキといいますが、一般的に沢山の実が付く背の高い草をススキ(ツツキ)と呼んでいます。◯幷穗/穂(実)が密集するさま。瑞祥。

◇稲そのものはイナキ(稲木)といい、その先に有る実が付く部分をホ(穂)といいます。全体としてイナキノホと呼びますが、これを略してイナ・ホ(稲穂)という語になり一般化します。

之瑞史不絶書]◯之瑞/コレ・ミヅキ。ミヅツキ→メデタキ。瑞祥。◯史/アヤ。ふみ。記録文書。◯不絶/タエズ。◯書/カキ・シルシ。記載。

列烽重譯]◯列烽/ツブヒ(ツツ→ツブの転音、トブ)。狼煙〔のろし〕による伝達。◯重譯/譯=訳。ヲサダをカサネ。二回以上の翻訳(通訳)を介する土地。転じて遠い国の意。◇ヲサダはキツカ(ことば)が、クォツカ→ウォスタ→ウォサダ、と転じた語。

之貢府無空月]◯之貢/コレ・ミツギ。税や献上品。◯府/ナヤ。ナのヤ。大切な物の収納庫。納屋は音書きの充て字。◯無空月/カラになる月が無い。空=ナキ→ンナキ→ムナシ。

◇柯〔スズキ〕と烽〔ツブヒ〕、連〔ツラネ〕と列〔ナラベ〕、穂(キツカ→イナホ)と譯(キツカ→ヲサダ)、幷〔アハセ〕と重〔カサネ〕、さらに瑞・史〔ミヅキ・アヤ〕と貢・府〔ミツギ・ナヤ〕、これらの音を意図的に並べている。

可謂]イヒツベシ。言い切る。(棚字)
名高文命]◯名高/名声。名高さ。◯文命/夏〔カ〕の禹王。[德冠天乙矣]◯德/自らを高め他を感化する優れた人格。倫理の規範。◯冠/マサリ。秀でる。◯天乙/殷〔イン〕の湯王。

◇後段三は、時の天子(元明天皇)に対して賛辞の句を述べています。縁起のよい言葉(寿、万歳の類語)を並べた吉祥文です。漢籍(文選)などからの借用や、祝詞にある馴染みの台詞によって作られた単なる既製の文言の羅列であり、後段(五つの文群)の真ん中に嵌め込んだ割付け紋様のような一文群と言えます。

ただ、当時としてはこういう験〔ゲン〕を祝う言葉が大事だったのでしょう。「天皇詔之、朕聞…」(後段・一)を受けての答辞的文言。

 

《後段・三》(1~8/8)…了。

稗田阿禮

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【 解説・18 】
《後段・二》(1~6/6)

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○ここに居ります舎人、稗田の姓〔カバネ〕の名(を負う)の者。年は二八、優秀な人である。一度見ればソラで唱〔トナ〕え、一度聞けば忘れることはない。
そして勅〔ミコトノリ〕があり、語ノ臣〔カタリ・オミ〕の阿禮(者)に伝承話を誦〔の〕り繰〔く〕らせた。

王家の系図や王位の継承図、また先代〔サキツヨ〕旧辞、これらを作り整えようとした。然れど、徒〔イタヅラ〕に月日が過ぎ時代が替わっても、未だその仕事を成し得ずにいる。


時有]トキに~アリ。◯時/トキに。ところで。そのころ。◯有/アリ。居る。(棚字)

◇「ところで、(ここに稗田の姓の名を負う舎人が)居ります」とも読めます。
舍人]トネリ。下級の役人。◇舎人の中にも階級があり、掃除や荷物持ちなど単なる雑用係から、乗り物係、伝令係、王族の世話係まで、その役割及び上下は広かったようです。しかし、下働きの男を指す呼称であることに違いは有りません。

姓・名]カバネのナ。◯姓/カバネ。一つの集団を表わす。◇ここでの姓の字をどう読むかについては議論があります。ウヂと読む、という説が多くの支持を得ていますが、カバネのままとします。◯名/呼称。姓に係るのであり、阿禮を指すものではない。

稗田]ヒエダ。◯稗の字義/⑴ 穀物の一種。実は細かい。⑵ 小さなもの。⑶ 雑俗。稗史〔ハイシ〕は、巷に残る細々とした事柄を書いた文。稗官〔ハイカン〕は、民間の細かい事を集めた官(官書)と呼ばれるもの。街談巷語、また小説。稗記〔ハイキ〕は筆記。稗説〔ハイセツ〕は説話の意味をもつ。稗士〔ヒシ〕という語には愚か者の意があり、自己の謙称としても使う事がある。

 

◇七世紀か六世紀か、あるいは更に前か、とにかく古事記成立のずっと以前、稗の字に伝承話、また其れに関わる者、の意がある事を知った人がいた。そこで語ノ臣の別称として稗の字が使われ始め、これが長らく続いた。

だが、よく見ると稗には “卑しい” の文字が入っており、あまり良い字とはいえません。折しも「土地の名は吉字二字を以って付けるように」という御触れが出されたばかり。記が献上された翌年、和銅六年の事です。

ここでの稗田は地名では無いですが、この期に稗の表字も廃止されたのかも知れません。それは同時に稗田の姓〔カバネ〕の廃号をも意味します。ただ、長年使ってきたヒエという音はそのまま残して文字のみを改めて、日吉、日枝、比吉、などの表記に変えた。

或いは全く逆で、通常は例えば「比枝ツ阿禮」なのですが、一時的に(この時だけ)謙称として稗田の文字を使った、という事も有り得ます。

何れにしろ稗田阿禮なる人物は、伝承話を家職とするこの辺りの下級神官に属する舎人の一人、と思われます。

阿禮]アレ。者。人。固有の人名ではない。稗田阿禮は「稗田の者」の意。
「姓稗田名阿禮」を日本語としてそのまま書けば「稗田ノ、姓ノ名ニ、(負ヘル)阿禮」となるでしょう。字列の関係上「負」の字は省きます。

さらに「稗田、姓名、阿禮」を、そのまま書いたのでは面白くない、ということで姓名の二字で稗田を挟む形にして「姓・稗田・名、阿禮」の書き様にしたと思われます。

当時の人たちは日本語を語順通りに書くよりも“漢文風和文” にするというのが常であり、戯れに文字を入れ替えて文章を作っていたフシが見て取れます。

そもそも、姓名や氏名は「姓の名」「氏の名」であって、現代のような「姓と名」「氏と名」ではありません。近世以降に商人や役者が用いた屋号もまた「屋の号」であって「屋と号」ではないですよね。

古代に於いて「姓は稗田、名は阿禮」というような「姓と名」の形の読み下しは成り立たないでしょう。

出雲風土記》に語臣猪麻呂という人が出できます。ほらここに「姓と名」の形が有るではないか、と受け取るのは早合点というものです。語臣は「姓〔カバネ〕の名」、猪麻呂は「身〔ミ〕の名」であって、「姓の名」と「身の名」の形であり、「姓と名」ではありません。

年是廿八]◯年/トシ。年齢。◯是/コレ。◯廿八/フタ・マリ・ヤツ。またハタチ・アマリ・ヤツ。

◇書写本の中には「二十八」と書くのもありますが、ここは二字表記が必要であり三字は許されません。よって「廿八」です。

爲人聰明]◯爲人/ナス、ヒト。~な人。◯聰明/聰=聡。カシコ。頭脳が優れている。賢い人。

◇問題を解決する能力や優れた発想力といった知性には、トキやサトキ、またサトシという表現が適しています。しかし、阿禮の知性はその記憶力が対象であり、厩戸豊聰耳の聰などと同様には扱えません。聰明の文字はサトキ・アケキと読めはしますが、ここでは広義に知性を指す語のカシコを充てるのが適当です。
※カシコとは、優越を表わすカツキから転じた音。

度目誦口]◯度目/目にワタリ。とどく。(文章などを)見ただけで。◯誦口/(文言を)声に出していう。[拂耳勒心]◯拂耳/拂=仏。触れる。耳にする。聞く。◯勒心/記憶する。心(脳)に印す。刻み込む。覚える。勒には「石にキザム」の意がある。

◇超人的記憶力の持ち主、というのでは有りません。ただ、長い話を数多く覚えていて、何度語っても一言一句違〔タガ〕うことがない、という技芸の者なのです。

現代人にとって、長台詞を喋る役者や、沢山のネタを持っている噺家を見たところで、別段驚くことはないでしょう。しかし、そんな職業に馴染みの無い人たちにすれば、話の面白さとは別に、彼の記憶力の凄さに対して、まず感嘆したのかも知れません。それを「度目誦口・拂耳勒心」という言葉で表現している、というだけの事です。

《記》には、頭が八つもある巨大な怪獣が出てきたり、鰐(鮫)と兎が会話をしたりと、荒唐無稽な物語を載せています。しかし、これらの話に対する認識の仕方は八世紀初頭の人にとっても、もはや神話なのであって、それは現代に生きる我々と大きな違いは無い感覚ではないでしょうか。

稗田阿禮なる人物を、神話のそれと同列に見ることは出来ません。彼は当時の現代人なのですから。

卽勅]◯卽/スナワチ。そこで。◯勅/ミコトノリ。
◇一般的な解釈では「勅語」を熟字として扱い、この二文字でミコトノリと読み慣わしています。これは本居宣長の時代(或いはそれ以前)から不変です。

宣長は《古事記伝》の中で「こういう場合は通常、勅のみで表わすものだが…、まあでも勅語を使う事もあるだろう。」と、少し引っかかりを感じつつ受け入れています。

だけど、ここは「勅」の一字でミコトノリであり、「語」の字は次の阿禮に係ります。

語阿禮]カタリノアレ。◯語/語の臣。カタリノオミ。◯阿禮/アレ。者。
◇きちんと書けば「語臣之阿禮」(語臣の姓に属する者)であり、これを略してカタリノアレとなります。臣之の字を省いたのは字列を揃えるためでしょうが、カタリノアレという言い方も普通に使われており、誤解は生じないとの判断でしょう。

語臣阿禮は即ち稗田阿禮であり、語臣と稗田は同じ、という事になりますね。語臣はカバネでありウヂではありません。よって、稗田の頭に乗っている姓の字もカバネと読んで問題はありません。

 

◇《西宮記》などを根拠にした稗田阿禮・女性説を唱える人が古くからいます。薭田の女性=猿女君こと天宇受賣の末裔。だから、稗田(出身)の阿禮さんは女性。という事らしいです。

彼女達は単なる縫い子としての勤労者というのが基本の職です。たまたま彼女達を供給する郡〔ゴオリ〕の名が薭田(稗田ではない)であっただけです。恐らくは多くが十代であり、そんな少女達が語り部の役目を担っていたなんて…、どうも考えづらい。

時には、巫女に混じって舞に参加したり、大人(雇主)が外出する時、随行員の一人に加えられたり、といった事はあったようです。しかし、これらは “賑やかし” であって重要な仕事では有りません。

この説が、世間によくある「歴史上のアノ人物、実は女性だった!」という、世に媚びたお遊び話し、なんて事ではないのを望むばかりです。

令誦習]イイクラセル。◯令/~させる。◯誦/ノリ。イイ。言葉に出す。◯習/クリ。繰り。動作、作業などの意。ツ・クリ(作り)。メ・クリ(捲り)。タ・クリ(手繰り)。サ・クリ(探り)。シャベリ・クリ(喋くり)。また、ネタをクリ、などのクリ。

◇漢語に於ける誦習とは、文章を暗記する方法の一つとして、声に出して(誦)、何度も繰り返し(習)、読むことをいいますが、ここでの誦習に暗記の意味は無いです。

勅により阿禮は持ちネタを安萬侶の求めに応じて何度も誦習(イイ・クリ返し)をして、安萬侶はそれを文字に起こしていった、という事でしょう。

 

◇「勅語」とは、天皇が直々に口頭で伝える事をいいます。そこで、勅語阿禮の表記に対しての解釈が少々あらぬ方向に向かいます。

天皇が稗田阿禮に、帝皇日繼と先代舊辭を直接朗読して聞かせたのを、スーパー記憶力の持ち主である阿禮が一度聞いただけで全て完璧に覚え、後に安萬侶の傍らでこれを唱えた、という不思議な事になってしまう。

凡そ天皇という地位に居る人が、下働きの作業員(舎人)を相手に、膨大な量の資料を直接 “ 朗読による口伝え ” などという手法で、何時間(休み休みだと、或いは何十時間)もかけて作業をするでしょうか?
天皇が、何故しなければいけないのでしょう。

千三百年後の人達が、この部分を「阿禮に勅語して…」との読み下しをしている。もしも、この事を安萬侶が知ったら、一瞬目を丸くして驚き、そののち腹を抱えて笑い転げるに違いありません。

 

帝皇日繼]◯帝皇/ミカド。大ツ御・神(オホキツミ・カツキ)がミ・カツト→ミカドになる。◯日繼/ヒ・ツヅキ(ヒツギ)を記した王家の系図

及先代舊辭]◯及/マタ。~と。オヨビとも読むがここではマタの音に充てる。◯先代/サキツヨ。昔。上古。◯舊辭/伝承された話。

]シカレド。状・有・雖〔シカ・アリと・イエド〕も。(棚字)

運移世異]◯運/トキ。月日の巡り。◯移/ウ・ツツリ。うつり。ツツは、時間の経過、モノの移動など。◯世/ヨウ。時代。その大王の御世。◯異/変わり。時代の移り変わり。◇天子の代替わり、遷都(平城京)など。

未行其事矣]◯未行/イマダ・オコナイ・エズ。◯其事矣/ソノ・コトヲ・ヤ。

 

◇後段二もまた主要文と二行の締め句で成っており、それを分ける三文字からなる一行が有ったに違いないと考えます。この〼〼〼の一行は、後段一の8行目と同様の役割を持つものです。

    卽勅 語阿禮令誦習
    〼〼〼
    帝皇日繼 及先代舊辭

元は飾り書きによる、この書き様であったでしょう。「令・何々」(何々・させる)という語句を古事記では概ね下句に置くのですが、漢文ではこれを行の頭に置くことが多い。

後に詰め書きされた序の文を見た人は、これを漢文と判断したことによって、次の様な一文を一行と受け取り、思案する。

  令誦習 〼〼〼 帝皇日繼及先代舊辭

この〼〼〼に、どの様な文字が入っていたかは分かりませんが、読み下すうえで解釈が着かないものだったのでしょう。

書写人は散々考えた挙句、至った結論が『この三文字はどうにも読みようが無い。何らかの誤りで紛れ込んだのは、もはや間違いない。ここは後の人達のために取り除いておこう』と、敢えて “善意の削除” をやってしまったのではないでしょうか。単純ミスによる脱漏ではなく、意図的に消去された可能性が大きい。(「寔於作」の様な三文字だったか。)

《後段・二》(1~6/6)了。

…をぐな。