宇気比

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 【 解説・7 】
《前段二/ⅳ》(9、10/16行)

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○(天照)鏡を懸ける。劒を喫んで吹き付ける。そして、多くの皇子皇族によって王家が続く。
○(須佐)珠を噛んで吹き付ける。ヲロチを退治する。以って、子孫が栄える。


寔知]マコトニシル(棚字) ◯/まことに。これ。◯/シル。判る。◇「寔知」は棚字に置かれてますが、ほぼ意味は無し。

懸鏡]鏡を賢木に懸ける。◇天照が岩屋戸に籠ってしまった時に、鏡と玉と幣を作り飾る。また、皆の楽しげな笑い声を不審に思い、岩屋戸を細く開けた天照に、天兒屋命と布刀玉命が其鏡を向ける。

《書紀》一書では、日神が戸を少し開けた時「以鏡入 其石窟者…」〈石窟に鏡を入れる〉としています。
吐珠]珠を口に含んで噛んで吐く(霧のように吹き付ける)。

而百王相續]◯/カ・シテ。そして。それにより。◯百王/モモツキ。モモノヲ。(代を継ぐ)多くの王とその皇子。モモには密集や積み重ねなどの意味がある。◯相續/王家の継承。ツヅキの音は書紀(海幸山幸の段)に「子孫八十連属」また「生兒八十連属」(連属をツヅキと読む)とあり、子孫永劫の意を持つ。

天照大御神から始まる王家の御世は、途切れること無く脈々と続くという意。ただ、天照から初代天皇の神武までは意外に少ないですよね。天照・忍穂耳・邇邇芸・火遠理(山幸)・鵜葺草葺不合・伊波禮毘古(神武)、この僅か六代です。尤も、それ以降も現代までとすると、まさに千代に八千代に続きます。

喫劒]剣を噛んで、吹き付ける。◇《記》本文では、宇気比(設定占い)の儀式で、天照が須佐之男の佩く剣を三段に打ち折って噛み、吹き付けた霧に三柱女子の神が生まれる。須佐之男が天照の身に着けた八尺勾珠を噛み砕き、吹いて出来た霧に五柱男子の神が生まれる、としています。

この宇気比の結果、須佐之男は自らの潔白(天照が住む天津国を奪う気持ちなど無いこと)を証明した事に、なるんだそうです。

鏡懸吐珠…、この行を天照に関しての記述とする。喫剣切蛇…、この行を須佐之男に関わるとします。
これだと吐珠と喫剣の置く位置が逆ですよね。天照が「懸鏡・喫剣」であり、須佐之男が「吐珠・切蛇」とすべきでしょう。

ただ、剣と珠がどちらの持ち物かについて、書紀では一書曰で幾つかの違うパターンを載せてはいます。

切蛇]◯/サキ(裂き)。正確にはキリサキである。音を省略するのであればサキを残すべき語。《記》のこの条ではの字を使っているが、その他では専らの字を使い、読みはサキである。
◇キリは或る物体に別の物体を押し付ける事をいい、サキは対象物を切開また切断することをいいます。

/ヲロチ。八俣遠呂智。尾の中から草那芸之大刀が出る。

以萬神蕃息]◯/モチテ。◯萬神/ヨロヅ・キ。またはヨロヅ・カツキ。家系を継ぐ子々孫々を指す。多くの親族。◯蕃息/ウマハリ。子孫が連綿と続き血族が繁栄すること。須佐之男の末裔十七世をいう。

◇《記》本文に「自八嶋士奴美神以下 遠津山岬帯神以前 稱十七世神」〈八嶋士奴美神より下、遠津山岬帯神までを、十七世神と稱う〉とあります。

須佐之男の子・八嶋士奴美から数えて六代あとに大国主がおり、大国主から数えて九代あとに遠津山岬多良斯まで記載されていて、これを十七世とする。だけど、六代と九代を合わせても十五代にしかならず数が合わない。

《記》の文面にある「此神」とは、八嶋士奴美、また大国主を指し、直列系図としては、須佐之男命→八嶋士奴美→大国主、この三世代になります。つまり、大国主須佐之男の孫という事です。この解釈でいけば、全体として十七以外の数にはならない。(※「十七世」の項、参照)

 

◇これまでの書き様を見ると、今に伝わる出来事を強引に一言で表し、これを順序や並びなどをあまり重視せず、あたかもパッチワークのように、或いはパズルでも作るように配置しています。

《記》では、吐珠・喫剣(宇気比)があり、そののち懸鏡(岩屋籠)です。さらに話が転換して切蛇(ヲロチ退治)に移るのですが、その流れは考慮されません。

だが、ここで見方を少し変えてみましょう。文章を行単位で見ようとするから戸惑うのであって、(この文群の3・4行目と同様に)二行を一塊りの文として扱えばいいのです。

 懸鏡  吐珠  而百王相續
 喫剣  切蛇  以萬神蕃息

先の四文字(懸鏡・喫剣)が天照の事。次の四文字(吐珠・切蛇)が須佐之男の事。その下は、百王相續が天照の家系。萬神蕃息が須佐之男の一族。こう捉えれば落ち着きます。

こんな“遊び書き”も当時としては珍しく無かったのかも知れませんが、時を越えた今に生きる我々は右往左往してしまいます。

 

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